2007年に結婚、2010年1月に女の子を出産した漫画家の伊藤理佐さんと吉田戦車さん。育児生活を描いた伊藤さんの『おかあさんの扉』、吉田さんの『まんが親』の両シリーズが大人気になりました。そんな夫婦の対談1回目は、伊藤さんが育児本にハマった妊娠時代、絶叫出産体験、産後の吉田さんの奮闘ぶりについて語ってもらいました。
念願の妊娠。助産院で産みたかったけど…
伊藤:子どもは欲しいと思っていたんだけど、なかなかできなかったんだよね。欲しいと思ってから妊娠するまで、8ヶ月ぐらいかかって、その間ずっと落ち込んでいた記憶がある。
吉田:それだけに、妊娠がわかったときは嬉しかったよね。妊娠中は、いろんな知識を仕入れてたでしょ? 俺は黙ってフンフンって聞いているだけだったけど。
伊藤:いろんな本を読みまくって、いろんなことにかぶれましたからね。最初は助産院で産むことを夢みたんだけど、希望したところは40歳以上がダメでがっかりでした。旦那さんの協力で産んだ人とか、自分で赤ちゃんを取り出した人とか、助産院でのいろんなケースを聞いていたから、すっかり自分も!とその気になってたんだけど。
吉田:出産した病院も悪くなかったじゃん。
伊藤:そうそう、そこの先生がすごくいい先生で。あんまり笑わないんだけど、一度だけ笑ったのを見たのが、エコー検査でお腹の子の髪の毛が羊水でなびいてたとき。「ちょっと面白いね」ってボソっと言って、「あ、笑った!」と思った。
吉田:確かに、うちの娘は生まれたときもフサフサだった。
いよいよ陣痛が来た!妻のイタイイタイ、夫のオロオロ
伊藤:出産予定日の前日に検診に行ったとき、「来週、お医者さんを目指している人たちが来るから、分娩の様子、見学させてもらっていいですか?」って聞かれて、「ああ、いいですよ」って返事しながら、「そっか、私、来週産むのか」って勝手に思い込んで帰ったんだよね。そしたら、いきなりお腹がドカーンって痛くなって。先生とさよならした6時間後には産んでた。
吉田:陣痛がはじまったとき、俺は新宿の飲み屋にいて、店がうるさいから電話やメールに気づかなくて。メールが3件入ってるのに気づいたときは動揺して、「どうやって行けばいいんだっけ?中央線だっけ?」ってオロオロした。今でもそのことを、飲み友だちに会うと言われる。
伊藤:当の私は、慌てて準備してタクシー拾ったんだけど、そのときもう陣痛の波がどんどんきて、乗れないわけ。運転手さんが、「え?これもしかして、タクシー出産やっちゃうパターン?手伝っちゃう?乗せちゃう?行っちゃう?」みたいな感じだった。唸りながら、何回も吉田さんに電話したんだけど出なくて…。病院に着いて動けなくて病院の前の茂みでうずくまってたら、助産師さんが出てきてくれてよかったよー。
吉田:電話がつながったとき、「長丁場になるかもしれないから何か食べるもの買ってきて」って言われたから、お菓子とかいろいろ買って行ったんだった。
伊藤:すごい動揺してたよね。私はすぐ食べられてお腹にたまるゼリー系飲料を期待してたのに、普段は買いもしない焼き芋のほくほくしたスナック菓子とか買ってきて。「そんなの食べたら喉につまるわー! 袋だってやぶれないし!」って。
しばらくして「よもぎ蒸し」をやってもらったんだけど、「イテテテ、あちちち」で、あのときは本当に気絶しそうになった。「よもぎ蒸し」って言葉から、気持ちよさそうで楽になれる、痛みをなくすためにやるもんだと思い込んじゃってたのね。でも本当は、陣痛を進めるためにやるもので…。どんどん痛くなるわ熱いわで、だまされた気分になって、「この裏切り者〜!」って思った。
吉田:陣痛の間は、俺も背中さすったり、腰揉んだりしてたけど、早くケリつけてほしいなと思ってた。こっちはなんにもできないからね。
伊藤:いい大人だし、もっとかっこよく産めると思ってたんだけど、えらい大騒ぎしちゃった。「ああ〜もう〜、エアコン切ってくださーい!」とか理不尽なこともいろいろ言って。そしたら先生に「お母さん、そんなに大きな声出すと赤ちゃんびっくりする。苦しくなる。痛いって言い過ぎ」って言われちゃって。
吉田さんは、私が「痛い、痛い」ばっかり言うから、何回痛いっていうか途中まで数えてたでしょ? でもあんまり数が多いから、「やーめた」って。
吉田:結局、2・3時間ですんだけど、あれがもっと長く続いたらどうなっていたことか。
伊藤:いきみも全然できなくて、「フッフッハーって練習したでしょ? 思い出して」って言われても、「ええ〜、もう全然わかんない〜!」って。それで先生に、「会陰は切らないって書いてあるけど、切る?」って聞かれて、「切って切って、すぐに切ってー!」。それでやっと出てきてくれた。
立ち会いはイヤだったはずが、モロに見られて”このバカヤロー”
吉田:「立ち会いはいやだ。いざとなったらお前は出てけ」と言われてたから、途中で出て行ったんだよ。ずっと分娩室の外で待ってたんだけど、生まれた気配がするのに呼ばれないから、忘れられてるんじゃないかな? 赤ちゃんと一緒に先に帰ってたらどうしよう?と思って…。
伊藤:そんなわけないじゃん。
吉田:ドアも開いたままだし、不安になって覗いたら、ちょうど産後の後処理をやってる血だらけのところがモロに見えて、「あ、縫ってる、縫ってる。すみません」って。
伊藤:いちばん見て欲しくないところに入ってきて、このバカヤロー! こっちは感動と引き換えに命かけてんのに、「あ、血が出てる」だって。
吉田:ショックだったんだよ。それでいっぺん引っ込んだわけ。でも、生まれたての赤ちゃんって猿みたいってよく言うけど、俺の娘は普通に可愛いくて涙が出てきたね。
伊藤:とりあえず泣いとこうかな、って感じだったじゃん。でもそのあとの1ヶ月は、よく頑張ってくれました。
産褥期の献身的なお世話に感謝!夫が”一生分の貯金”を稼ぐ方法
吉田:仕事を減らして、掃除、洗濯、買い物、食事の支度とか全部やって。母乳のために、カルシウムが多い小松菜を毎日買ってきては、せっせとゆでて食べさせたしね。
伊藤:産後は、夫婦間のトラブルが起きやすいってよく聞くけど、吉田さんは成功したんですよ。私、妊娠中に育児本を読み過ぎて、『産後1ヶ月でその後の母の人生と赤子の母乳人生が決まる!』と思い込んじゃって。それで、「お願いします!産後1ヶ月は全部やってください!」って吉田さんにお願いしたの。そしたら、「ああ、全部やる」と引き受けてくれて、本当に頑張ってくれて。おかげで私は外に一歩も出ることなく、運ばれるエサを食べて母乳あげて寝るだけの、何かの動物みたいな生活させてもらいました。それでもときどき、イライラしてブチ切れちゃったりはしたんだけど・・・。
吉田:普通じゃないキレ方をすることあったよね。陣痛のときの俺の飲み会の話を持ち出して、なぜか「若い女と飲んでたでしょ!」って逆上したり。メンバーに一人女性がいたんだけど、それが頭のなかで「若い女」に変換されたみたいで。実際は駅弁愛好家が百貨店の折り込みチラシを手にみんなでああだこうだ言いながら酒を飲むっていう集まりなのに…。
伊藤:後日、その女性と会う機会があって、「あのときいたのは私ですから。こんなおばちゃんにキレちゃったんだって?」って言われたよ。
吉田:あのときは、「産後の情緒不安定な時期なんだろうな」と思って、笑うしかなかった。他にも、これじゃなくてあれ買ってこいとか、ドーナツクッション買ってこいとか頼まれたよね。デパートに行って、「妻がこういう事情で痛がっていて」って説明したら、「大変ですねぇ、えらいですねぇ、こちらでよろしいでしょうか?」って、すげえ同情されたよ。
伊藤:あれは、感謝しましたよ。本当に吉田さんはあの1ヶ月で、一生分の貯金を稼いだかもね。多少不満があっても、「あのときあんなにやってくれたんだから」って思えるし。
吉田:別にイヤイヤやってるわけじゃなくて、楽しかったからね。仕事も週刊誌の連載が1本だけだったんで、週の半分は主夫して、むしろそのほうが楽だった。伊藤さんも辛そうだったし、生まれたての娘もかわいいから見ていて飽きないし、「ああ、ずっとこのまま主夫やれたらいいのに」と思ったぐらい。
伊藤:本当に感謝しましたよ。将来、介護してやろうかなと思ったもん。今から子どもが生まれる男性には、本当におすすめです。
吉田:企業の経営者も、赤ちゃんが生まれた男性社員には育児休暇をとらせるとか、家に早く帰してあげるとかしたほうがいいよね。
伊藤:エラソーなこと言っちゃって。でも真面目な話、旦那さんが無理ならお金を払ってでもいいから、産後は誰か雇って手伝ってもらったほうがいいと思う。
<第2回目へ続く>
ゼクシィBaby WEB MAGAZINEの記事
伊藤理佐
漫画家。1969年生まれ、長野県出身。2010年、第一子出産。87年、『月刊ASUKA』に掲載された「お父さんの休日」でデビュー。2005年、『おいピータン!!』で 第29回講談社漫画賞少女部門受賞。06年、『女いっぴき猫ふたり』『おんなの窓』など一連の作品で第10回手塚治虫文化賞短編賞受賞。代表作に、『やっちまったよ一戸建』『なまけものダイエット』『おかあさんの扉』など。
吉田戦車
漫画家。1963年生まれ。岩手県出身。1985年、雑誌のイラスト等でデビュー。1991年、『伝染るんです。』で第37回文藝春秋漫画賞を受賞。代表作に『ぷりぷり県』『火星田マチ子』『まんが親』『おかゆネコ』、エッセイ集『吉田自転車』『逃避めし』などがある。2015年、一連の作品で第19回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。
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編集/山上景子 文/樺山美夏