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ただ誰かに話を聞いてもらいたい…「いのちの電話」で張り詰めていた糸がプツンと… by志乃

慣れない土地&育児でどんどん孤立

地元から遠く離れ、当時の私は両親とも絶縁状態。慣れない東京の土地で、近くに相談できるママ友がいませんでした。

地元の先輩や友人達から「困った時は、いつでも電話してね」と言われていましたが、相手も乳幼児を子育て中の立場。自分と同じように、ろくに睡眠時間もとれない極限状態の生活をしているかもしれないと思ったら、どのタイミングでかけても迷惑になってしまいそうで、どうしても自分から電話がかけられませんでした。

 

おまけに当時、唯一頼れる存在であった旦那は、過酷な労働環境で、毎晩0時過ぎに帰ってくるような生活でした。

それでも疲れた顔ひとつせず、出来る限りのことをしてくれている旦那に、それ以上のことを求める気にはなれませんでしたし、そんな彼の負担にしかなっていない自分を、情けないとも思いました。

そんな調子で、話し相手もおらず、どんどん孤立していく中、ツイッターの仲間との交流は、唯一のコミュニケーション手段であり、心の支えでした。

ネットと育児本の情報だけを頼りに、なんとか慣れない育児を一人でも乗り越えようとしたものの、とうとう、心身ともに限界に。そんな状態になっても、それでも私は、どうしても周囲に頼ることができませんでした。

今にして思えば、育児ノイローゼ気味だったと思いますし、そのせいで判断能力が落ちていたのかもしれません。

 

無料電話相談の番号をお守りに

ただ、誰かと話したい…。悩んだ末に選んだのが、無料電話相談サービスの「いのちの電話」と「よりそいホットライン」でした。

子育て相談ダイヤルは数多くありましたが、年中無休で、かつ24時間無料で受け付けてくれる電話相談サービスは、この2つだけでした。

他は受付時間が短かったり、曜日が決まっていたりして、育児の合間をぬってかけるには、あまりにチャンスが少なかったです。

おまけに産後は、自分のためにお金を使うことに、強い罪悪感と、抵抗感を抱くようになっていました。自分のふがいなさのせいで、高額な電話料金の請求がきたらと考えると、有料サービスを使う気にはとてもなれませんでした。

当時、3.11後の「目には見えない不安」に、多くの人が怯えていた時期。地元・宮城のことを思うと、ちっぽけな育児の悩みなどで貴重な回線を使ってもいいものかと悩みました。そして、本当にどうしようもなくなった時にかけると決めて、アドレス帳に番号を登録し、お守りのようにしていました。

ただ、誰かに話を聞いてもらう。たったそれだけのことが、とても難しいことのように思えていました。

そしていよいよ、通話ボタンを押した時。これがまた、かかりづらくて。深夜や早朝にかけても、なかなか繋がりませんでした。いつでも回線はパンク状態で、自分と同じような孤独な人々で、社会は溢れていることを知りました。

祈るように、すがるように、かけてかけて、何度もかけ直して。

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心の糸がプツンと切れ涙がぶわっと…

「ゆっくりでいいですよ」と言われた瞬間、「こんなの大したことない」といつも自分に言い聞かせながら張り詰めていた糸がプツンと切れて、ようやく涙がこぼれました。 

初めての育児で分からないことだらけなこと、深夜遅くまで旦那が帰ってこないこと、ずっと話し相手がいないこと、自分一人に子育ての責任がのしかかっていること、気軽に頼れる人がいないこと。無理がたたって、40度の高熱を出し、自分で救急車を呼んだこと。ネットに書いてある世間の「最近の親を見る目」の理不尽さを知って怖くなったこと。家事がまったくできていなくて、家の中が荒れ放題なこと。そのせいで娘が誤飲してしまって、慌てて救急車を呼んだこと。それを泣いて後悔したはずなのに、それでも部屋が片付けられないこと。母乳の質が悪いこと、いつまで経っても離乳食が始められないこと。ちっとも理想通りにできていなくて、虐待になっているんじゃないかと不安なこと等々…、本当にたくさんのことを話しました。

相談員さんは何も否定せず、「大丈夫ですよ、皆さんそんなものですよ」と優しい言葉をかけてくれました。

 

片付けが苦手なわたしは母親失格?

幼い頃から、私の将来を心配した母による、厳しいしつけ(?)を受けて育った私。

「部屋を片付けられないような、だらしのない人間は、何をやってもダメ、全てにおいてダメ」という調子で、全人格を否定される、長年の刷り込みがありました。

私には注意欠陥・多動性障害(ADHD)があり、脳の仕様によって、片付けがどうしても苦手な特性を持っているのですが、当時は今ほど認知が広まっておらず、私も母も、知る由もありませんでした。

部屋が汚いと、それだけで自分が人間失格のように感じるだなんて、そんなのおかしいと頭では分かっていても、心にこびりついて、なかなか離れないんですよね。 

自分は母親失格なのではないかと、一人で悩み続ける日々でした。 

 「ただ、誰かと話す」「誰かに気持ちを自分の口を使って伝える」というだけで、かなり心が軽くなるものなんですね。たった一本の電話に、とても救われたのを覚えています。

それからは、ファミリーサポートなど、行政の子育て相談機関を、積極的に利用するようになりました。

 

「子どもは地域社会で育てる」とは言っても、自己責任論や、個人主義が一般化している昨今、なかなか難しいことだと感じています。

でも「情けは人のためならず」といいますし、「困った時はお互い様」と誰かに対して言えるように、困っているママがいたら、まずは私から手を差し伸べられるようになれたらいいなあと思っています。

>>>次回のエピソード:エンドレスリピート、理不尽ルール..「子どもとの遊びがツライ!!」を発想の転換で解決

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著者:志乃
年齢:35歳
子どもの年齢:長女4歳

宮城県出身。ADHD当事者ママとして、日々の考察&生活術ブログ「ひびわれたまご」を運営。イラストレーター・デザイナー・似顔絵師として活動しながら、ゾンビのように子育て中。著書に、陣痛中の実況ツイートをまとめた、イラストエッセイ本「陣痛なう」がある。 

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