2009年、知り合って10ヶ月の交際期間を経て、お互いに子供を一人連れての再婚。私たち家族は新しい家族としてスタートしました。
夫の子(娘)6歳の小学校1年生、私の子(息子)3歳の年少、私が31歳、夫は27歳の時でした。
最初の数年間は、とにかく家族の絆を築くように過ごしました。
35歳を過ぎた頃、子供産むなら年齢もあるし、夫も「そろそろかな?」と思っていたようで、ここから私たち夫婦の妊活が始まりました。
費用は掛けられなかったので、地道に努力を重ね1年を過ぎた頃、妊娠の兆候があり検査薬で検査をすると陽性でした。
病院に行くと8週と言われ、家族ですごく喜び合いました。
しかし9週を過ぎた頃に私が体調を壊し病院に行くと、赤ちゃんの心拍は止まっていて、先生からは“繋留流産”と言われ処置をしました。
37歳春、再び体調に変化があったので、検査をしたところ妊娠していることがわかりましたが、前回のことがあるので、2人の子には報告せず病院へ行きました。
先生からは「まだ胎嚢しか確認できない。心拍が確認できるのは2週間後」と言われ、2週間後に病院へ行くと、「またダメみたいだね、心拍確認できないんだよ。」と言われてしましました。
2週間後に手術の日を決めましょうとのこと。
私が「2週間後に赤ちゃんが元気でいることはないんでしょうか?」と先生に聞くと、先生は「まずないでしょ」と。残酷な言葉でした。
その2週間はとても長く思いました。
もういないはずなのに、私は今までに経験したことのない悪阻の症状、下腹部痛、倦怠感などに悩まされていました。
手術の予定日、またあの残酷な話をされるのかと憂鬱な気持ちで病院に行きました。
内診すると何かが動いてものが見えました。
「先生、赤ちゃんの心拍ではないですか?」と聞くと、先生も「本当だ。心拍確認できたね。」と。
これはミラクルだと感じました!
それからはマイナートラブルと戦いでしたが、無事に正産期に入ることができました。
39週の検診に病院へ行った時、先生から「まだだね」と言われたので、その後息子の通院とお昼を済ませ車で走っていると、いつもと違う痛みを定期的に感じました。
自宅に戻った後徐々に間隔が短くなっているように感じ、急いで病院と夫に電話をして帰宅した夫の運転で病院へ。
病院についた頃には5分間隔を切っていました。
私が選んだ病院は家族立会いが可能のフリースタイルだったので、布団が一枚敷いてある和室での出産になりました。
そこで、娘は腰をさすってくれ、息子は水分補給や汗を拭いてくれ、2時間半くらいで命の誕生の瞬間を家族みんなで迎えました。
娘・息子は、助産師長さんに「ほら!頭がでできたわよ!」と教えられて覗き込み、赤ちゃんが出でくるその瞬間を目撃。夫はへその緒を切りました。
産まれた日は、家族が前々から希望していた、全員が立ち会える日でした。
まさに“ミラクルベビー”です。
名前は娘・息子の名前の一文字の読み方を使い、漢字は夫が考えてくれました。
これから先も、家族みんなに愛されすくすくと成長してくれると思います。
ゼクシィBaby WEB MAGAZINEの記事
著者:湯婆婆38
年齢:40代
子どもの年齢:1歳8ヶ月
子供をお互いひとりずつ連れての再婚、新しい家族はじめました。
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