一人目育児とフルタイムでの仕事を両立する中、妊娠二ヶ月から四ヶ月辺りまで悪阻が酷く、それまで飲んでいた水も青汁も受け付けなくなり、炭酸ばかり飲んでいました。
好んで食べるものは一人目の時もそうだったのですが、チーズにパスタ。偏った食生活とエネルギー不足で体重が減少しました。
悪阻がマシになったと思ったら、今度は妊娠中期に私生活においてストレスフルなことがありました。
食べられるようになったことと、ストレス発散とで、仕事帰りに長男を園に迎えに行く途中でポテトチップスを食べたりチョコレートを食べたりしていました。
普段は間食を殆どしない痩せ型のため、大丈夫だろうと高を括っていたところがありました。
ところが暴食が祟ってか、妊娠後期に入る前の検診で尿糖と高血圧の指摘を受け、ブドウ糖負荷検査なるものを受ける羽目に。
また、産婦人科の先生からは、赤ちゃんが大きいため巨大児になる可能性があると指摘を受けました。巨大児になると、難産や生後の低血糖などのリスクが高まるとのこと…。
巨大児という言葉は衝撃的で、気をつけなければとは思ったのですが、検査が決まった時点でも、「まさか私が…」と、安易な気持ちでいました。
検査までの1週間も糖質や炭水化物を独断で制限し、「何とかなるかな」なんて思っていました。
糖負荷検査は絶食して、空腹時、ブドウ糖水を飲んだ1時間後、2時間後にそれぞれ血糖値を測定するというもので、1つでも高血糖の値が出れば妊娠糖尿病と診断されるそうです。
検査では見事にすべてにひっかかり、立派に妊娠糖尿病と診断を受けました。
妊娠糖尿病の人は、普通の人よりも将来、糖尿病になる率が7倍であること、妊娠中の代謝や血管の様子は20年後のそれと同じであることを聞かされ、ショックを受けました。
ずっと患っていかなければならない、もしくはずっと気をつけなければならない…。
もはや好きなものを好きなだけ食べられないのだと思うと、絶望に近い気持ちになりました。
今から思えば、予兆はしっかりあったかと思います。
食後に動悸が激しかったり、酷い眠気に襲われたり。
あとで調べたら、糖尿病の症状の1つで、血糖値の急上昇によるものだとか。
また、足のこむら返りも酷かったです。足がつって起きることもしばしば。
妊娠というだけでなりやすいと思っていたので、その時は気にはしませんでしたが、あとから考えたら度合いが酷かったように思います。
治療は食事療法。毎食前後に血糖値を測定しながらの食生活の改善です。
一人では到底、切り抜けられなかったでしょう。
気持ちを強く持てたのは、若い女性の栄養士さんによる栄養指導や内分泌科の女医さんによる診察という、働く女性プロのテキパキとしたアドバイスのお陰でした。
独自の食事制限では栄養が偏り、エネルギーが不足し、悪阻が酷かった時期同様に尿からケトン体が出る羽目に。
それでは赤ちゃんに悪影響だから、インシュリンを打ってでも炭水化物を食べた方が良いと言われ、食を見直しました。
野菜をたくさんとれるように、苦手な料理も頑張りました。
たまに甘いものを食べたくなり、血糖値が上がることもある中で、お医者さんは「うまくコントロールできてる。この調子」と励ましてくださるので、また頑張ろうという気持ちになりました。
臨月に入る間際は、仕事をしながらの「もうあと少しでお休みに入る」という思いが、「無事に。お腹の中にまだ居てね」という祈りになり、焦りとなって情緒不安定になりました。
「こんなに頑張ってるのに!」と血糖値の測定値に一喜一憂し、「こんな思いをするのは赤ちゃんのせいだ」などと涙することもしばしば…。
そのような時期にお医者さんに、「もうインシュリン打たなくてもいけるかな、良く頑張られました」と言って頂いたり、「巨大児は免れたかな。体重管理も良くできていますよ。内分泌科にかかって良かったですね」と言って頂いて気持ちが楽になりました。
結局、ずっと入院治療やインシュリン治療をせず、在宅医療という形での食事療法のみで切り抜けることができました。
体重の増加は9キロ、4,000g超えの巨大児を心配された赤ちゃんは3,400gで無事出産。
赤ちゃんの低血糖もなかったため、生まれてからのインシュリン点滴も不要でした。
臨月に入るまで仕事をし、仕事をしながらの血糖値測定、血糖値コントロールは大変でしたが、プロに支えられ、意地で切り抜けた数ヶ月間でした。
この経験が、今後の私の人生における強さになれば嬉しいなと思っています。
ゼクシィBaby WEB MAGAZINEの記事
著者:nskwa0
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