こんにちは、イシゲスズコです。
記憶も曖昧なヨレヨレの頃
次男がもうすぐ産まれようかという頃、年子の長男は歩き始めて手も目も離せない時期でした。
初めての育児と第二子妊娠が同時に押し寄せてきてただでさえ狭い私のキャパはもういっぱい。とにかく外で遊びたがる長男に振り回される日々。
その日も長く降った雨で退屈しきっていた長男を連れて雨上がりの散歩に出かけました。長靴で水たまりに入って遊び始めた長男。
あ〜〜泥だらけになるな〜と思いつつ、久しぶりのお外だし止めさせるのもまた面倒だし洗えばいいし…と半ば諦めてその様子を眺めていました。
母の友人からの思わぬ賛美の声
「○○さんがね、ほめてたの、あなたのこと」
実家に立ち寄ったときに突然そんなことを言う母。
知っている方だけれど最近会った記憶もないし…と思っていたらどうやら公園で長男を遊ばせていたところを見られていたようでした。
「最近のお母さんは汚すの嫌がって泥遊びなんかさせないと思ってたのよ〜」
「心に余裕があるのね、娘さんはいいお母さんね」
とべたぼめだったと母が。
いや、私はほらその、もうこのまま風呂と洗濯機に突っ込めばいいやって諦めていたんだよ…と思いながらも、そうやって誰かがどこかで見てくれていたことがなんだかちょっと嬉しかったんですね。
誰もほめてくれない、誰も見てくれない。
親がこどもの面倒を見るのは当たり前、散歩に連れて行くのも当たり前、遊ばせるのも当たり前、こどもを産む前は私自身もそう思っていたような気がします。
ところが産んでみたら毎日毎日自分の時間軸では動けずにこどもの動きに振り回される。
ご飯もゆっくり食べられないし、自分の都合で出かけるのも難しい。
こどもに合わせて我慢して、こどもに合わせて努力して、こどものために汗を流して、でも誰もそれをほめてくれない。パートナーのはずの夫でさえも、わかっていてくれているだろうけれどわざわざ口には出してくれない。
そんな、育児に関して当たり前のことをしてほめられると思ってもいなかった頃の私にとって、ありきたりの日常を誰かが見てほめてくれたのがとても嬉しかったんですね。
私、がんばってたんだ。
こどものお世話をしていること、遊ばせていること、そんな「母親なら当たり前だろう」ってことを誰かがほめてくれた。
当たり前のことだと思ってたけどほめられるようなことができていた、自分でもそれに気づいてなかったけど。
ささやかな自分のがんばりに気づける自分でありたい、そして、私があの一言に救われたように、そうやってがんばるお父さんお母さんたちを見かけたら積極的に言葉にしていきたいなぁとも思っています。
著者:イシゲスズコ
年齢:38歳
子どもの年齢:小6・小5・小3・5歳
九州の片田舎在住、ぼちぼち働く4児の母ブロガー。生活のなかで出会ういろんなことをあれこれ考え込んだブログ「スズコ、考える。」を運営。Twitterの男児育児あるあるをまとめた共著「#アホ男子母死亡かるた」(アスペクト)がある。
ブログ:「スズコ、考える。」
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