乳児期。
ほえーほえーと赤ん坊が泣けば、おっぱい飲ませオムツを替えて抱っこをし、ユラユラ。
「置くと泣くから」という理由で、抱っこのまま気絶するようにソファで眠る日もありました。
病院で、公園で、スーパーで、道路で、大声で泣かれて必死にあやし、手を替え品を替え、まるで周りに「私はこれだけやってるんです!でも泣きやまないんです、うるさくしてすみません!!」というアピール。
時々、あたたかい目で見守ってもらったり、「赤ちゃんは泣くのが仕事よね~!」なんて言ってもらえたりしたけど、それでも私は、誰に対してか、「すみません、すみません」と謝っていました。
イヤイヤ期に入ると、なんでもかんでも気に入らず怒って泣くわが子。途方に暮れる私。
ヒステリックな泣き声を聞き続けていると、「なんでママは、こんなに泣いてるのに、わかってくれないの!?」と、責め続けられている気持ちになりました。
保育園の先生や保健師さんに相談して、気持ちの切り替え方や説得の仕方を教わって、実践するも、うまくいったりいかなかったり。
「ああ、また泣かせてしまった」と、自己嫌悪やらなにやらで、一緒に泣いたこともありました。
手のつけられない癇癪を相談すると、「自分で自分の気持ちを落ち着かせられるように、手も口も出さず、見守りましょう」とアドバイスされ。
泣き叫ぶ子どもを前に目をつむり、耳を塞ぎ、それでも脳の奥に響いてくる、悲鳴まじりの泣き声。
逃げたい、逃げたい、逃げたい、と心の中で繰り返してました。
そんな毎日でも、少しずつ、少しずつ、子どもは成長していって、理由を話せたり、自分で気持ちを切り替えられるようになって、「何やっても泣きやまない」ということは減っていって。
時間が解決してくれるんだなあ、なんて、ぼんやりと思っていました。
そんな中での、下の子3歳の、幼稚園初登園。
本人とっても楽しみにしていたし、上の子もいるし、隣の保育園からの繰り上がりだから友達も知ってる先生も多いし、あまり心配してませんでした。
私が「いってらっしゃい」と手を振って、ふらふらと教室に向かって数歩歩いて、ピタリと止まって振り返って、私の顔を見て。
「ふえっ、ふえっ、ふえええええ」泣きました。
(あ、泣いた。そっか、そうだよね、不安だよね)
私がそんなことを思っているうちに、下の子は先生や上の子になだめられながら、教室に歩いていきました。
周りを見ると、新入園児とおぼしき子たちは、皆ピーピーぎゃーぎゃー泣いていました。
(なあ泣くよね当然。)そう思いながら、園児たちとその保護者を眺めているうちに、気づきました。
泣いてる子たち、誰も、泣かせられて泣いているわけじゃないこと。
ただ、新しい環境に不安を感じて、泣いている。
誰かを責めてるわけじゃない……。
突然、ふっと、体が軽くなりました。
赤ちゃんは泣く。子どもは泣く。
お腹が空いて、眠くて、物事が思い通りにならなくて、泣く。
当たり前のことだ。
なのに私は、そこに、ずっと、「母の責任」を感じていた。
上の子が生まれてからこの日まで、5年間……。
私が『泣かせないの呪縛』から突然解放されたのは、時間の流れと一緒に、この時、心の底から「そりゃ泣くわ」と思えたからでした。
あの頃の私に、言ってあげたい。「そりゃ泣くわ」って。
「だから、自分を責めなくても、大丈夫。」とも。
著者:うだひろえ
年齢:アラフォー
子どもの年齢:5歳と3歳
マンガ家/イラストレーター。愛知県生まれ。2008年『夢追い夫婦』(KADOKAWA)でコミックエッセイデビュー。『誰も教えてくれないお金の話』(サンクチュアリ出版/監修:泉正人)が30万部を超えるベストセラーに。5歳男児&3歳女児の子育てに奔走する生活を、ツイッターやブログで垂れ 流し中。
website:http://umeyon.net
最新刊:「伝えるチカラを身につけたらダメ旦那が稼げる男になりました」
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