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母との喧嘩からわかった「出産して母になる」ことの本当の意味

初めての出産を1ヶ月半後に控えて、一時帰省した際に母と喧嘩をした。

 

きっかけは些細なことだったのに、多分、出産への不安やいろいろな思いがあって、普段以上に母の言葉に敏感になって言いすぎてしまった。

 

「ごめんなさい」の置き手紙をして、早朝、家族が寝ている間に実家を出た。

 

親子って喧嘩をしてもいつのまにかもとに戻るものだけれど、一緒に暮らしていないとそうはいかないようだった。

 

それからもなんどか電話やメールのやりとりはあったけれど、わたしは母の(多分勢いで言ったのだろう)言葉がショックで、今までのように他愛のない話をしたり、頼ったりすることができなくなってしまった。

 

そのようにわだかまりのとけないまま、出産の日はやってきてしまった。

 

夜中2時に目が覚めた。それは本当に突然のことで、陣痛というものが始まったのだった。

それでもわたしは眠ろうとした。

 

10分置きに痛みがきてはおさまる。さすがに眠れなかった。

 

3時、寝ることをあきらめて家の用事をすることにした。

痛みがおさまっている間をみはからって

洗濯物をとりこんでなおしたり、炊飯器の中のごはんを冷凍したり。

 

陣痛って不思議なもんで、痛みが来るとカナヅチで殴られてるのかと思うぐらい痛いのに、波がおさまると普通に動けてしまう。それの繰り返し。

 

4時になってようやく病院に電話をした。状況を話すと「念のため今から来てください。」と言われた。「え!!お風呂に入っていってもいいですか?」と聞くも、「だめです!すぐ来てください。」とのことだった。

 

準備をし、この後に及んでコンビニでメロンパンとヨーグルトを買い、病院に向かった。

 

午前5時、病院に着き、入院となった。

 

痛みは8分間隔ぐらいになっていたけれど、出された朝食をぺろりと全部食べて看護師さんをびっくりさせるほど、午前中はなんとかまだ余裕があった。

 

この時点でも、まだわたしは母に連絡をしなかった。

「来てもらったって何かできるわけじゃないし…」と。

 

正午を迎えた。痛みが5分間隔になって強くなり、

お昼ごはんは半分ほどしか食べられなかった。

 

14時、ようやく母に連絡をした。

 

でもとにかくつらくて余裕がないし、待ってもらっても今日中に生まれるかどうかわからないし、生まれたら連絡するからそれまで病院には来ないでほしいと伝えた。

 

母はオロオロして「でも心配やわー、お父さんと相談する!」と言って電話を切った。

 

大きい病気もケガもしたことがないわたし。確実に今まで生きてきた中で一番苦しかった。

 

それでも「こんなに痛くて人類的にはアリなんですかね!?」と冗談風に言ってみたりして看護師さんを笑わせた。

 

わたしは泣きも叫びもしないって決めていたのだ。

 

15時頃にはもう冗談を言う余裕もなくなり、ナースコールをするも「まだまだやなぁ!」と言われて絶望的な気持ちになった。

 

16時、母と父が到着した。母は病室に入ってくるなり私のところにかけよって腰をさすり始めた。

 

「痛いんねんから痛いって言えばいいねんで」

母にそう言われ、初めて涙がでてしまった。

「来てもらっても何かできるわけじゃないし…」ってそれはただの意地っぱりで、ほんとは母がいると甘えてしまうから来てほしくなかったんだ。

 

痛みが3分おきになっても、そこから先がなかなか進まなかった。

 

どうやらわたしは微弱陣痛というものらしかった。

こんなに痛いのに微弱ってどういうこと!?とびっくりした。

夜ごはんも出されたけれど、一口も手をつけられなかった。

 

 

父はどうしてよいかわからず、部屋を出たり入ったりしていた。陣痛が強いときもおさまっているときも、母はずっとずっと私の腰をさすり続けた。

 

そして何度も「代わってあげたい」と言った。

 

すごいな、こんな苦しみをかわってあげたいと思えるなんて。

それが親になるっていうことなんだね。

 

結局最終的には吸引をすることになった。

マタニティヨガで習った呼吸法なんてまるで実践できなかったし、もう先生や助産師さんに言われるがまま。自分が何をしているのかわからなかった。

 

陣痛から約20時間後、と言っていいのだろうか。

22時10分になってようやく我が子は誕生。

でも、その前に面会時間終了の21時になったとき、母と父は嵐の中、夜の高速道路を1時間半かけて帰っていくことになった。

 

2880グラムの元気な男の子だった。

吸引すると言われた時、頭の形は茄子みたいにならないのかなと朦朧とした意識の中で考えたけれど、そんなことはなくて一安心した。

 

「よう頑張ったね。」

その一言で親子のわだかまりはいつのまにかとけていたことに気がついた。

 

退院後も私の身の回りのことや息子の世話のお手伝いによるストレスと睡眠不足のせいか、母は口内炎が4つも出来てしまったという。

 

それでも「そうちゃん(息子の名前)はおりこうさんの歌」(自作)を陽気に歌っていた。

 

 

もう母には頭があがらないなぁと思った。

母になるというのは、子どもを育てるだけじゃない。

子どもを許すことも必要で、子どもの全てを受け入れることかもしれない。

 

この間の喧嘩を、母との最後の喧嘩にしようと心に誓った。

 

そしてどうすれば親孝行が出来るのだろうと真剣に考えてみたけどその時はわからなかった。

 

でも今、子どもを育てながら思う。

 

親孝行、それはきっと私が幸せな人生を送ることなんだろうな。

 

著者:ZONO

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