母親なのに子供がかわいく思えない。
そう思ったことはありませんか?
私は今までたくさんありましたし、今も時折思います。
母親として失格でしょうか。失格だったとしてどうにか他の手段が選べるものでしょうか。
37歳にして待望の赤ちゃん!
難産を乗り越えての初めての我が子との対面は、ドラマのように感動的で涙が溢れ出すものだと思っていました。
ところが、実際産んでみると正直いって(これがずっとおなかに入ってたんだ・・・うわー、けむくじゃらー、ぶよぶよー)という感想しかありませんでした。
やっとでた!おわった!という感動しかなく、初めて会う不思議な生き物にはなんだこれという興味しかありませんでした。
そりゃそうです、赤ちゃんも産まれたて、母親としての私もその時初めて母になったのです。
出産後はとにかくこの小さな生き物を死なせないようにしなければと必死でした。小さくて今にも壊れてしまいそうな赤ちゃんが、複雑な機能で生きていることが不思議で、夜中に何度も呼吸をしているか、心臓は動いているか確認したものです。
そうしているうちにだんだんとかわいく思えてくるようになりました。じわーっとわいて来るような感覚でした。
うちの娘は割とすんなり寝てくれる子でしたし、第一子のため赤ちゃんのうちはそんなに手がかからずかわいいな~と思いながら過ごすことができました。
しかし、動き出してからが本番でした。
ハイハイしはじめたかと思えばなぜかタンスの上によじ登ってる、下味中の生肉をむしゃむしゃ食べてる、歩き出したら親の所在は一切気にせず一瞬で消える、川を見るとまっすぐ突進していく。車だって気にしません。工具箱からニッパーを取り出し電気コードを切ろうとしたこともあります。
全力で死にに行こうとするのです。この小さな生き物は。
一瞬たりとも目が離せないのですが、そんなことは不可能で、トイレすらもゆっくり入ることが出来ない生活でした。
そんなこんなのうちに第二子の息子の出産、娘は2歳で暴れ盛り。私はもう40歳です。体力的に限界がきていました。数ヶ月続く微熱と原因不明の激しい眩暈ではって子供の世話をする時期がありました。
娘はふすまは貫通させて出入り自由にする、カーテンはレールごとひきちぎる、ベッドで暴れて骨折、外で転んで前歯折る、一切座って食事をすることが出来ない、ダメということも全く聞いてくれません。
もう、子供をかわいいと思う余裕は、全くありませんでした。
この子は私になにかバツでも与えるために生まれてきたのではないかと思えるほどでした。
そう思ってしまう自分に、母親としてダメな人間なのではないか、躾もろくに出来ない自分がいけないのではないか、と毎日自分を責める日々でした。
うちの場合は後々、娘が発達障害という診断をもらうことができ、原因は自分の育て方ではなかったという救いを得るのですが、
振り返ってみれば、子供がかわいいと思えないときは、自分に余裕がない時なのです。
12歳になった今も娘とはしょっちゅうぶつかります。これは発達障害が原因なのではなく、私と娘の相性の問題です。親子といえども一人の人間と一人の人間。別の人格をもつ以上相性があり、血の繋がりがあるから必ずしも相性がよいとは限りません。同じ親から生まれたはずのきょうだいが不仲のことがあるのと同じです。
娘と私はおそらく互いに相性が悪いと思います。それでも家族として大切に思う気持ちはあります。
ぶつかったときは本当にかわいいとはみじんも思えないときがあります。それでも大事な我が子です。かわいいと思う感情と、大切であるというのは別だと感じます。
そうしながらかわいい寝顔を見ながらごめんねと反省する日々です。まだまだ私も余裕が足りません。
理想の母親像を捨てる
親が追い詰められてしまえば、子供にとってよいことなどなにひとつないものだと思っています。
かといって、簡単に預ける先がない、保育園にもなかなか入れない、赤ちゃんのうちは眠る時間もとれない。
これが現実のご家庭も多いのではないかと思います。
子供のお世話をきちんとやって、料理も掃除も完璧にこなし、子供によいといわれることは進んでやる。そんなことが出来れば本当によいと思いますが、子供を産みさえすれば誰だってそういう母親になれるものでしょうか。
私には無理だと思いました。なので思い切ってそういう幻想を捨てることにしました。
手作りのおやつをキーキー言いながら必死で作るよりも、市販のおやつを与える。家事をきちんとこなしながら子供に辛く当たってしまうよりも、最低限の安全と清潔さえ確保できれば極力手抜きをして、子供と笑って話せる時間があったほうがいい。
今でも子供が自分で出来ることは手伝いません。小学生になった今は、休みの日の朝食や昼食なども自分で作れるものなら自分で作らせています。子供が自分で出来ることを増やしていくのが親の仕事。そう割り切って自分の時間を確保しています。
「周囲からよい母親と思われたい」
「子供に好かれる母親でいたい」
この欲望を捨てたことでなんとか今の私が成り立っています。
もしも私が100点の母親を目指していれば自分がつぶれてしまい全てがダメになっていたことだと思います。100点を目指して0点になるくらいであれば50点でいいやと思いました。
子育てをする私の目標は、私が亡き後でも子供が生きていけること。この一点です。
子供が将来自立して生きていけるのであれば、子供から好かれなくてもかまいません。
手を抜いてでも自分の無理のないペースを作り、日々の生活を継続できることが最重要です。無理は必ず続きません。今では頼れるところはどんどん頼ります。
なかなか難しいことではありますが、これから子育てをする方、今まさに小さいお子さんを抱えて余裕のない方には是非、ご自分の継続出来るペースを見つけていただけたら、子育てサービスや周囲の方々にできるだけ頼る勇気をもっていただけたらいいなぁと思っています。
子供をかわいく思えないことを思い悩むこと自体が、子を思う母親への第一歩をすでに踏み出しているのです。
自分に余裕をもつ工夫をすること。そうすればきっと我が子がかわいいと思える時間がやってくるのではないかと思います。
ゼクシィBaby WEB MAGAZINEの記事
著者:なないお
年齢:アラフィフ
娘 2005年生まれ、息子 2007年生まれ
発達障害を持つ子供たち二人を育てるシングルマザー。乳がんを患い治療中。頭の中をTwitterに垂れ流しながら復活の呪文をとなえています。
娘:明るくスパイシーなアクセル全開系女子。ADHD(注意欠陥多動性障害)、アスペルガー症候群。
息子:おだやかで刺激に弱いダジャレ数学少年。自閉症スペクトラム(広汎性発達障害)
ブログ【うちの子流~発達障害と生きる】URL:http://nanaio.hatenablog.com/
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