お恥ずかしい話ですが、私達夫婦は付き合って3ヶ月で授かり婚をしました。
妊娠が判明してもすぐに同棲はせず、お互い現状のままで進めました。
私は妊娠8ヶ月まで仕事を続けその後に退職し、主人の社宅がある土地へ引っ越しという形で話がまとまりました。
お互い仕事の休みが土日祝と同じだったのでほぼ毎週末会い、入籍、引っ越し先の確認、家具家電などの買いだしなど、妊娠中でしたが毎日慌ただしく過ごしていました。
早い結婚、しかも授かり婚もあり結婚式はあげませんでした。
代わりにハネムーンに2人で行き、現地でフォトウェディングをしました。
仕事を退職し、いざ一緒に住む事になって感じました。
付き合い期間がとにかく短く、妊娠が判明してからもお互い別々で暮らしていたのもあり、夫婦とは形ばかり・・・。
お互いの事をよく知らないまま、ただ一緒に住みだしたので、友達よりも職場の人間よりも浅い関係だったかもしれません。
また、妊娠してから私の身体に起きた変化の数々を、主人はあまり見ていなかったので、妊娠によって起こった様々な体の辛さも、あまり理解できていない様子でした。
主人の何気ない発言に傷ついたりして、1人お風呂場で泣いたりもしていました。
当時は妊娠で坐骨神経痛になり、まともに歩けない状態が続いていました。
そこに後期に入って突然蕁麻疹を発症してしまい、夜も眠れないほどの激しい痒みが1日中足、腕、お腹、お尻周りを襲っていました。
掻いた痕、蕁麻疹のブツブツ痕がくっきりと残っていて、女性として本当にショックでした。
周りが慰めてくれても、全く耳に入りませんでした。知らない土地に引っ越し、仕事もやめ、妊婦でまともに歩けず、段々と外出するのが億劫になっていきました。
殆ど引きこもりの状態で、毎日話す相手は主人のみ。だけど肝心の妊娠の悩みや辛さを、主人に打ち明ける事もできませんでした。
今となって思えば、私が主人に対して壁を作っていたのです。
毎日当たり障りのない会話をするだけでした。
結婚はしたけれど、常に離婚の事が頭の隅にある状態の新婚生活。主人は主人で、自分を頼らずに全て自分の中で解決してしまう私に、少なからず不満をもっていたようでした。
何も言わない私に対して、夫婦になったのだから何でも言い合いたいという主人とで、若干ズレが生じていました。
結局そのまま、何も進展もない生活を続け、あっという間に里帰りする日程に近づいていました。
実家に帰ってからも悶々としていましたが、主人は立会出産を望んでいました。
主人は丸3日続いた前駆陣痛の時から、仕事帰りに私の実家へ来て、ずっとそばに付いていてくれていました。
本陣痛になった時には、私も主人も既に寝不足状態でした。
入院してからも、子宮口が中々開かず筋肉注射を打たれたり、先生に指で無理やり1cmだけ開かれたりしましたが、最終的に促進剤を打ってもらいようやく9cmまで開き、とうとう破水しました。。
そして、陣痛室へ入って3時間かかってようやく出産。
入院してから25時間経っていました。
その間、寝ずにずっと私の傍から一時も離れず腰をさすり続けた主人。
私は陣痛中、主人にキツク当たったり、また、側にいてくれ!と懇願したりしていたそうです。
子供を出産した瞬間、主人は泣いて喜んでくれました。
その時から、夫婦の壁がなくなりました。
色んな気持ちが全て飛んでいきました。
子供を抱いて喜び、産後1ヶ月後に私と子供が戻るまで、家の中を1人で模様替えをし過ごしやすくしてくれ、毎日毎日私と子供に尽くしくれました。
私に、結婚した事を後悔していないと言ってくれ、もっと本心でぶつかってほしいと伝えてくれた時に涙が止まりませんでした。
あまりに早い結婚でうまく関係を作れていなかったのですが、子供のおかげで私たちがようやく本当の意味で夫婦としてスタートラインに立つ事ができました。
今は、2人目妊娠中です。出産の痛みは少し怖いですが、子供のおかげで今の私達夫婦があるので、1人目同様素敵な思い出になるよう出産を頑張りたいと思っています。
ゼクシィBaby WEB MAGAZINEの記事
著者:ひいけな
年齢:30歳
子どもの年齢:1歳5ヶ月
1歳5ヶ月の子を持つ、2人目妊娠後期の専業主婦ひいけなです。毎日重たいお腹を抱えて、上の子供を追いかけまわす生活をしています。とにかく早く産んでしまいたいと思うほど、毎日きつくなってきました。子供が2人になったら、2人を連れてどこにいこうか、何して遊ぼうかと楽しく考えています。出産前の趣味ができなくなってしまったので、子供と一緒にできる趣味を作りたいです。
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