子どもを作る事への不安や罪悪感がなかなか拭えなくて、ネットで悶々とその手の掲示板めぐりをしていた頃、印象に残ったコメントがありました。
「こんな世の中に子どもを産む気にはならない」というものです。
誰もが一度は親や先生に言われたであろう、「人にされて嫌なことは人にしない」という意味での子作りしない宣言。それでしばらくの間、自分なりに悶々と考えていました。
この世は、新しい命に対して「こっちおいでー!」と言えるほど良いところか?
そうでもないから、産むのは申し訳ない事なのか…?
昔と違って、少なくとも日本では飢えや寒さで死ぬ人は少ないです。
でも、天国と言えるほどいいところではない…ような気がします。
朝電車に乗れば、端から端まで不機嫌な顔がズラリと並んでいます。
「会社行くの超楽しみー!」とウキウキルンルン目を輝かせているような人はほとんどいません。たぶん顔に出さないだけでちょっとはいるんですけど。
どちらかというと地獄寄りな気がする事も、少なくありません。
それでも皆が命をつないで来たのは、個人的な想像ですが…ひとつには今ほど子どもを作ることに対して、迷いも疑いもなかったんじゃないかと思うんです。
そもそもちゃんとした避妊の手段がなかった時代の方が長いし、生活基盤としての集団を維持するためにも子どもは必要不可欠で、産めるなら産むのが当たり前という意識で。
でも現代では、妊娠の前段階で子どもを作るか否かをある程度選ぶ事ができます。
だから世の中を悲観してしまうと、私のようなネガティブ人間はすぐ不安や迷いにとらわれてしまうわけですが、
「新しい命を生み出す事に対して、不安や迷いを感じる」というのは、案外昔も今も変わらないんじゃないでしょうか。
そもそも出産が今よりずっと命がけなので自分の生命が心配なのはもちろんのこと、
「生まれて来た子にちゃんと食べさせてあげられるだろうか」とか
「災害や病気や争いから守ってあげられるだろうか」とか。
割と今の私達と同じような不安を、今以上の深刻さで抱えていたんじゃないのかなと。
そんな不安や迷いがあっても、産んで育てることをやめずに命をつないできたのは…
この時、ふと「子どもを作るって、肯定することなんだな」と思いました。
世の中に色々な苦しみや悲しみが待ち受けていると分かっていても、それら込みで「人生はすばらしい」と肯定してきたから、ご先祖さま達は命を繋いできたんじゃないのかなと。
そしてそう思えない部分、肯定できない部分を良くしようと頑張ってきた結果が、今の便利で安全な社会なんだなぁと…。
自分はそうできるだろうか?
そうしたいと心から思えるだろうか?
答えはすぐには出ませんでしたが、
色んな時代の大人たちが、それぞれの地獄に直面しながらも「それでも人生はすばらしい」と子どもにも思ってもらえるように闘ってきたんだと思うと、
殺伐としていた目の前の世界が、ちょっとだけ眩しいもののような気がしてくるのでした。
ゼクシィBaby WEB MAGAZINEの記事
著者:きたあかり
2016年6月にムスメを出産し、生後2ヶ月ごろからインスタで育児絵日記(@kita.acari)をつけています。ムスメの寝顔を見ながら寝落ちするお昼寝タイムが至福。
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