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妊娠中、1歳児連れの外出時にあった大地震…帰宅方法は?そして帰宅後は…? by ちちかわえみぞう

皆さんこんにちは、気づいたら顔にゴルゴ13風の線が出てきたちちかわです!

さて今回のテーマは、毎年春先には話題になる“災害対策”についてです。
日本で被害の大きかった災害といえば、2011年の東日本大震災ですが、うちは現在小学生の長女が当時1歳、かつ私は長男を妊娠中の状態で震災を経験しました。 

 

 

今後もいつ何が起こるかわからない世の中、誰もが被災する可能性があるならば、この場をお借りして体験を記録に残す意義があるかもしれない、と考えました。
あくまでも個人の経験ではありますが、もしもの時に小さなことでも参考になればと願いつつ、まずは震災当日の思い出を語りたいと思います。

 

忘れもしない震災の日、夫の転勤で神奈川県に住んでいた私は第二子を妊娠中で、長女はまだ歩く足取りもおぼつかない1歳児でした。
翌月に里帰りを控え、その日は行きつけの子連れで入れる整骨院を予約してあったので、散歩がてらベビーカーを押して、のんびり坂道を上っていた時のことです。
突然めまいがして足がふらつき、目の前の地面がユラユラと揺れ始めたので
「いつもの貧血かな…」と思い、ふと坂の下の街並みを眺めてびっくり。
その高台から見える範囲のすべての電柱や街路樹、そしてよく見ると遠くの高層ビルまでもが、ぼよ~んぼよ~んとまったく同じ動きで、規則正しく左右に揺れていたのです。

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しばらく呆然と眺めて、ようやく「…あっ地震?」と気づき、ベビーカーをかばうように身構えましたが、歩道の真ん中でじっと立つ以外は何もできませんでした。今思えば石垣のすぐ下にいたので危険でしたね…。

揺れが収まった後、すぐ前の一軒家からおそるおそる顔を出した年配女性と目があったので、「大きかったわね~」「窓ガラスは大丈夫でしたか?」などの会話をかわし、それでちょっと安心したのと、少なくともそこから見える範囲では大きな被害があったようには思えなかったので、ひとまず整骨院へ向かうことにしました。しかし駅前広場のエレベーターが非常停止してしまっていたため、ベビーカーで駅を通り抜けられず、かなりの遠回りをして到着。ほかにお客さんはおらず、開店休業状態でした。

余震が続く中、整骨院のスタッフさんに「どのみち電車が動かなければ我々も帰れないから、しばらくここに居ても大丈夫ですよ」と言っていただいたため、ご厚意に甘えることにして、取り急ぎ隣のスーパーでまる1日ぶん程度の飲料水と食糧、おむつ一袋などを買い集めてから、職場にいるであろう夫に、居場所を伝えるショートメールを送信しました。
そしてそのまま夕方まで整骨院で過ごしましたが、夫からの返信は無し。
たとえメールが届いたとしても、どうせ夜にならないと帰宅できないだろうと予想したので、先に娘と自宅へ戻ろうかと考え始めたところで、ふと気がつきました。

当時は転勤中で、借り上げ社宅である中層マンションに住んでいたのですが、当然エレベーターは動かないので、非常階段を使って5階の自宅まで上がらなくてはなりません。
吹きさらしでまともな手すりもない、冷たくて薄暗いコンクリート製の階段です。妊婦が昇降するだけでもしんどいのに、まだ一人では階段を上れない1歳児を連れており、おまけに重たいベビーカーの上にどっさり積まれた、おむつや飲料水の入った買い物袋。
すべてを5階まで一人で持ち上げる?…無理だわ!と悟ったのです。

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結局、当日20時過ぎにはなんとか夫が整骨院までたどり着き、無事一緒に帰宅できました。
その頃までは、まぁ言っても我が家はさほどの高層階ではないし、ひとまず停電もしてないし、たとえ夫がいなくても、自力で何往復かしてでも帰れるだろう…と気楽にかまえていましたが、暗い夜道を自宅に向かいつつあらためて考えると、どうやら問題はそれだけではないぞ、とわかってきたのです。

たとえば、やっとの思いで帰宅した家で、もし家具が倒れたり、ガラスが割れて飛散していたら?
ずりばいで床を動き回る1歳児を、そんな状態の部屋には入れられないですよね。
かと言って私が一人で非常階段を往復して荷物を運び、部屋を片付けるまで、娘をベビーカーに乗せたまま、外廊下に放置して泣かせておくわけにもいかず、でも近所に預けられる場所なんてないし…。

あれ?もしかしてこれって詰んでる?

不覚にも、この時はじめて、"避難所"という文字が頭をよぎりました(それまで考えてなかったんかーい)。そして同時に、引っ越してきて日が浅い転勤族のため、当地の避難所の正確な場所や、高台にあるらしいその避難所へ至る安全な道順を知らない、という事実にも気づいてゾッとしました。

それまでは家の中で災害をやり過ごすことばかり考えていて、万が一買い物などで外出中のタイミングで被災したり、または夫が当日中に帰れないような事態になれば、自分で荷物を担いで、夜道や悪天候やがれきがあるかもしれない中を、私一人がベビーカーを押して避難することになるという可能性を、本気で想定していなかったんですね。これは猛省しました。

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この経験から痛感したのは、【個人的な避難訓練】の必要性です。日常的に会社や学校へ通っている人であれば、そこで適切な避難経路を確認したり、避難訓練に参加することができますが、私のような無職の妊婦や、乳幼児をかかえた専業の親にはそうした機会がほとんどありません。
さらに転勤族などで地域との接点が乏しい場合は特に、災害発生時にどう動くか、何を準備するかというシミュレーションは、あくまでも自主的にするしかないんだと気づかされました。

また、震災後はよく地域社会とのつながりの重要性について言われましたが、確かに今考えればあの時は、娘と二人きりで家に戻ることへの心細さがあったからこそ、あえて自宅ではなく、人がいるとわかっている整骨院の方へ向かったのかもしれません。もし整骨院という行き先がなく、ただ余震が続く道路に立ち尽くすだけだったとしたら、そうとう不安な気持ちになっていたんじゃないかと思います。
無理してママ友を作るような必要はないけれど、ただ非常時はご近所にあいさつ程度の顔見知りがいるだけでもずいぶん安心できるので、ふだんからそういう環境を作っておくことも大切だなあ、と感じました。

今後、地震以外にもたとえば街が冠水したり、停電が発生した時、建物そのものに被害はなくても「道路状況やエレベーター停止などのせいで外出先から戻れない」「窓ガラスの破損やトイレ問題などが原因で自宅内に入れない/いられない」といった理由で避難せざるを得なくなる可能性は、誰にでもあるんですよね。
そんな事態に対応するためには、まず
・とっさにそれだけ持てば一時避難できる荷物を作っておき、玄関先に置く。
・引っ越したらすぐに地域の避難所を確認し、一度は実際に重めのカバンを背負ったり、
 ベビーカーや抱っこ紐など、現実的な避難状況を想定しながら歩いてみる。
この2点は特に、どこの家でも重要だと考えています。皆さんもよければぜひ御一考ください。

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思うに、それまではずっと幸運にも特に意識せず生きてこれたけれども、この時に初めて今の自分が子連れ妊婦で、“何か災害が起こればたちまち詰んでしまう”立場であり、“自分一人の力で安全な場所へ逃げたり、身を守ることすら難しい”という事実、それがすなわち“災害弱者”であるってことなんだな~、と気づいたんですよね。いざという時に家族を守るためにも、普段からできるだけの準備と心構えをしておけたらいいな、と思います。

 

 

 

 

 

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著者:ちちかわえみぞう
年齢:アラフォー
子どもの年齢:長女9歳、長男7歳、次男5歳の三きょうだい

育児中の自由のなさ、動けなさを、Twitterで解消するしがない主婦。一人でこっそり食べるアイスが一番の癒やし。

ブログ:手すさびに紅き萱穂を

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