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ニアミス乳幼児突然死症候群からの生還、前触れなしの異変、意識を失った娘…

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『乳幼児突然死症候群(SIDS)』

元気だった赤ちゃんが何の前触れもなく亡くなってしまう病気のこと。

原因はわからず、約7000分の1という確率で発症するそうです。

とは言え、乳児の死亡原因の第3位であり、多くの赤ちゃんが亡くなっています。

仰向けに寝かせるようにしたり、母乳で育てることでリスクが軽減されるそうですが、
どれだけ気をつけていても避けきれない怖い病気です。

 

私は出産前からこの病気については知っていました。

自分の摂る食事や飲みものに気をつけ、産後は仰向けに寝かせ、完全母乳で育てました。

我が子に限って、そんな病気になるわけがないとも思っていましたが、避けられるリスクは避けるべきだと、私なりに注意をして生活をしていたのです。

 

娘の3ヶ月健診も終わり、問題なく育っていることに安堵していた矢先、何の前触れもなく、娘に異変が起こりました。

日曜日の21時過ぎのことです。

いつもは母乳を飲みながら眠りにつく娘でしたが、その時は突然目をつぶり眠り始めました。

はたから見ればなんてことはないのでしょうが、私は猛烈な違和感を覚えました。

 

説明のしようのない不安を感じ、いてもたってもいられなくなり救急外来に行くことに。

お酒を飲んでいた夫には留守番を頼み、タクシーで向かいました。

移動中に何度か目を覚ます娘でしたが、やはり何かがおかしいと感じました。

病院について、看護師さんに私の感じている違和感について必死で説明している時に、娘の意識がなくなりました…。

娘は看護師さんに抱えられて処置室へ。

あっと言う間にたくさんの医師に囲まれて、あわただしく救命処置が行われます。

酸素マスクや点滴をつけられ、いろいろなモニターにつながれて行きました。

目の前で起きていることを理解できずにぼう然としていると、夫を呼ぶように言われました。

処置室を出て、ふるえる手で夫に電話をし、病院にくるよう伝えます。

帰りに娘が寒いといけないので

「ブランケットを持って来て欲しい」

と夫に頼みました。

その時はすぐに帰れると、本気で思っていたのです。

 

しかし、状況はそんなに甘いものではありませんでした。

医師から伝えられたのは『乳幼児突然死症候群』であろうということ。

状況は非常に厳しく、この病院では対処しきれないため、小児科専門の大きな病院に転院することを伝えられました。

娘に再会したのは転院のために乗った救急車の中。

名前を呼ぶと目をあけてこちらを見ます。

病院に来る前とは違い、力強いまなざしです。

その時に、

「この子は大丈夫。絶対に元気になる」

と確信しました。

 

すぐに集中治療室に入りました。

たくさんの点滴をされ、いろいろな機械につながれてベッドに縛りつけられている娘の姿は痛々しく、見ているだけで涙があふれました。

その後も何度か危険な状況になりました。

でも娘はその度に、ちゃんと私のもとに帰ってきてくれたのです。

 

娘の場合、意識を失ったのが病院内ですぐに処置出来たことと、小児科専門の病院で専門的な処置が受けられたことで命をつなぐことができました。

娘のように助かった場合は『ニアミス乳幼児突然死症候群』と呼ばれるそうです。

現在は普通の子と同じように成長して、元気に過ごしています。

あの時手放しかけた「当たり前の日常」を過ごせている奇跡に感謝する毎日です。

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著者:ポチョムキン
年齢:30代
子どもの年齢:3歳と1歳の女の子

東京の隅っこでのんびり暮らしています。
女子力低めの女系家族なので、お菓子作りで女子力を上げて行きたいと奮闘中。

※プロフィール情報は記事掲載時点の情報です。