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いつも挫折と紙一重?!子どもが習い事を「ただ、続ける」ことの難しさ[前編] by kobeni

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「練習、してます…?」Hちゃんのママが向かいの席に座り、開口一番、眉間に皺を寄せ訊ねる。

「いえ…厳しいですね」読んでいた本を伏せて私は答える。ふたりで「ハァ…」とため息。

我が家の長男とHちゃんは、エレクトーンの教室で同じクラスに所属している。保育園も小学校も同じで、二人ともエレクトーンを始めてもう4年ほど。お互い共働き家庭なので、レッスンは土曜日の午前中。レッスンが終わるまでの間、近くのカフェで待っている間の出来事だ。

割と何度もしている、こんな会話を。

 

■ 習い事を「ただ、続ける」ことの難しさ

 エレクトーンを始める前は「習い事は、いくつか試した中で、本人が気に入りさえすれば続けられるだろう」ぐらいに考えていた。長男は小さい頃からよく歌っていたので、「歌が好きなのかな」と、3歳ごろからエレクトーン(最初はリトミックだった)に通わせてみた。

習い事は学校の授業のように必須ではない。ただ、集団の保育や教育では、子ども一人ひとりの個性を伸ばすのにも限界があるだろう。なにかしら特技があればそれは自信につながるし、人生における息抜きにもなるのではないか。その程度の気持ちでスタートしたのだった。

 

だが、現実はそんなに甘くない。楽器は地道に練習しなければ上達しないが、幼児の忍耐力や、先を見通す力は、想像以上に拙かった

4-5歳ぐらいの頃は本当に大変だった。弾き始めて2秒でつまづき「わーー!」と泣きながら鍵盤に突っ伏す。自分の指が思い通りに動かないことが「信じられない」と言わんばかりに怒る。注意すれば「そんな言い方しないで!!」。見本で弾いてみれば手を払い除けられる。拗ねて練習を中断してばかりだった。なのに、そんなに練習が辛いならやめてもいいよと言うと、「嫌だ。やめたくない」。

弾くのが辛いんじゃない。「弾けない自分(という現実)」がひたすら辛いだけなのだった。我が子よ、その無駄に高いプライドは誰に似たのだ。

 

冒頭のHちゃんも同じで、レッスンの直前まで「上手く弾けないから行きたくない」と泣いたりするらしい。けれど「やめたくはない」。

平日は仕事があるので、なかなか練習に付き添うの難しいですよね。いや本当に。でも、このあいだ街中でやってたミニコンサート観て、目キラキラさせてたんですよ。そうなんだ、そういうの見せるのも大事なんですね…「ハァ(ため息)」

 

私の教え方が悪いのか。いや、けれど親はプロじゃないんだし、できることなんてたかが知れてる。悶々と考える日々だったが、Hちゃんのパパ・ママをはじめ同じくらいの子を持つ親と話すうち、これが普通の姿なのだと分かってきた。

「うちも練習中にすぐ拗ねるし、付き合うのが限界に達してやめた」「練習面倒くさいのでやらない→レッスンでついていけない→面白くないので練習しない、の悪循環」。ここで親が専業とか兼業とかは関係なく、小さな子どもに「ただ、習い事を続けさせる」難しさは共通しているようだった。

 

もちろん、宿題や練習が必要ない習い事もある(水泳なんかだと、自宅で練習するのも難しいし)。小さな頃からコツコツ努力できる子もいる。そもそも、未就学児に「習い事」が早すぎるのかもしれない。

ただ、挫折しそうなところをサポートし、動機づけをし続けなければならない、そのことを「大変だ」と感じている親もまた、多いのではないかと思う。

私とぶつかりながらも、ちょっと上手く弾けるとアッサリやる気が出ることもある。だから難しいのだ。「好き」or「嫌い」、「得手」or「不得手」あるいは「本人の意思」or「親の自己満」というような、ゼロサムで判断できる状態じゃない。子どもだからこそ、その間でゆらゆら揺れ動く。

一般的に「子の教育方針」と聞いてイメージされる「放任」と「教育ママ(パパ)」の間にも、きっとグラデーションがあるのだろう。

いやぁ、知らなかったわ、この難しさ。

 

…[後編]腹を立てずに、子どもの習い事に付き合う「心構え」とは…?に続く

 

 

著者:kobeni(こべに)
子どもの年齢:7歳、3歳

仕事と育児の両立などをテーマにしたブログ kobeniの日記 を書いています。二人の男の子の母親。東京在住。

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