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いつかくる巣立ちの日、その時「私」を見失わないために 〜空の巣症候群について考えた〜 by kobeni

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家の近所で、小型犬を散歩させている奥様たちの集まりをよく見かける。彼女たちはパッと見、背格好が似通っていて、飼っているわんこたちもなんとなく似ている。私は「子育てがひと段落したお母さんたちかな」と思って見ている。子どもたちが中学生、高校生、あるいは大学生? さいきんは「夜ごはんどうするの」と聞いても「いらない」「外で食べてくる」などと、つれない返事をされたりしてるんじゃないだろうか。わんこたちはとってもかわいい。チワワやトイプードルなど、懐っこいやつが多い。

 

子どもが生まれてから、しなくなったことは色々ある。ライブに行かなくなった。今だって無理すれば行けるけど、子守を夫に頼んでまで行きたいアーティストは限られている。映画を観なくなった。割と映画を観るのは好きな方だったのだけど、小さい子が家にいると、何時間も画面に集中するというのが難しい。今は下の子も2歳を過ぎているので、たとえば子どもたちが寝た後に観れば、授乳や寝かしつけで遮られることもない。けれど赤ちゃん時代に習慣自体を失ってしまい、なんとなくそのまま観なくなってしまった。…まあ、ライブも映画も、私の熱意とか好奇心が、残念なレベルだったということなのだろう。

0歳児を子育て中の友達が、「久々に見たソフィア・コッポラの映画、途中で早送りしちゃった」とか言っていて、思わず笑った。気持ちはわからなくもない。次にいつ、こんな自由時間がとれるか分からないのだ。「本当はあの『間』がいいんだろうけどね」と彼女は言っていた。

 

子育てはミッションとタスクの連続だ。授乳や寝かしつけに始まり、離乳食、保活、あらゆる種類の病気の看病、夜泣きの対処、イヤイヤ期にトイレトレーニング。習い事、七五三などの行事、運動会や発表会、ご近所付き合いにPTA。「朝、何時に起きるか」といった生活習慣も、子どもと暮らすなら劇的に変えざるを得ない。平日も休日も、家事と育児のタスクは次から次へとやってくる。朝ごはん食べさせて、午前中は掃除だ。習い事に連れていかなきゃ。昼ごはんどうする? 宿題に丸つけして、ほつれた体操着のゼッケンを縫わないと。…と、もう夕方じゃん! 夜ごはん何にしよう??

 

私はもともと非常に利己的な人間だ。一人っ子だし、甘やかされて育てられた。基本的に自分のことばかり考えて生きてきたし、母親になったからといってそれが大きく変わるわけもない。けれど、そんな私ですら、「あれ? きょう、自分のために何かしたっけ…?」と思うくらい、一日が「家族のため」で終わってしまうことがある。

 

ではそのように利他的に生きる日々が苦痛かというと、そんなこともなくて、むしろ「人生にはこういう楽しみがあったのか」と新鮮な気持ちさえする。会社帰りに珍しい折り紙を見つけたら、「買って帰って、一緒に折ろうかな」と思い、友達と出かけたショッピングでも、自分の服を買いに行ったのに「これは保育園で使えそうなアウター…!」とホクホクしていたりする。そんな中で「予期せぬひとり時間」が急に訪れたりすると、何をしていいかわからなくなる。読みたい本も用意してないし、出かけるといっても最近は近所をウロウロしてばかりだし、録画した特番もこないだ観ないまま消去しちゃったよ、ええーっどうしようどうしよう、もったいない! 何をしよう………

そんなだから、「自分のしたいこと」を考えるのがむしろ面倒だと思う時がある。「どうせできないし」と諦めるのにだんだん慣れて、欲望自体が薄まってくる感じだろうか。「誰かのために」やること=家事と育児のタスクは膨大にあり、しかも、一つひとつのクオリティを高めることすらできる(「丁寧な暮らし」みたいな方向性もあれば、「すてきな奥さん」みたいな方向性もあるし)。金銭がもらえないから見返りがないかといえば、まったくそんなことはない。返ってくるのは「愛情」や「成長」だ。小さい子どもは本当に、こっちが申し訳なくなるぐらい、無条件に親を愛してくれる。なにかしてあげれば素直に喜ぶし、手間暇かけて付き合えば大抵は、それに見合った成長をする。つまり、「家族のため」だけに生きていても、そんなに不都合がない、満たされた生活を送れてしまうのだ。子どもは、何者でもない私を全肯定し、無償の愛を注ぎ、「生きる理由」まで与えてくれる。「私がいないとこの子は生きていけない(という名の膨大なタスク)」という形で……

 

しかし。私は怖くなる。これ、いつか終わるんだよね、と。子育てがたくさんの愛情やら人生経験やらを与えてくれたと同時に、「大変なものを盗んでいきました」ということにはならないのだろうか。自分ひとりでトイレにすら行けない、部屋を片付けることもままならない。それがいつしか、自分でできることが増えていく。自分とは別の人格として、どんどん育っていく。素晴らしい。好ましいことだ。もう私の助けは必要ない。子育てもひと段落、私は自由だ。さあもう一度、私は「私」として生きなくてはならない。あれ? でも「私」が好きなものって、やりたいことって、なんだったっけ?「私」って、誰だったっけ……?

 

「誰かが喜んでくれることが自分の喜び」という女性はすごく多いと思う。そういう優しい人や、自分の感情や欲望よりも周囲の人たちの気持ちを優先してしまう人ほど、子どもが巣立つ時に難しさに直面するんじゃないだろうか。冒頭の奥様たちの話に戻るけれど、子どもたちが大きくなり、親を必要としないどころか鬱陶しがるようになった(もちろんこれは、まったくもって正しい成長の一過程だと思うが)時、新しい愛情の注ぎ先として、わんこがいるのかもしれない……と思う。赤ちゃんみたいに愛らしく人懐っこく、お散歩などで世話がやける、いつまでも大きくなることはない、わんこたち。

 

「空の巣症候群」という言葉がある。子どもが巣立ったあと、喪失感で心が不安定になるというものらしい。知り合いのお母さんで、子どもたちが大学入学などで家を出たら「胃に穴があいた」という話を聞いたこともある。正直、子どもを持つまで「私はぜったいにそんな風にはならない」と思っていた。子離れできないなんて。アイデンティティを子どもや家族に預けるなんて。でも今は、そのようになってしまうお母さんたちのこと、すごくわかる。子育ては、あらかじめ別れが決まっている恋愛のようなものだ、といったのは誰だったろうか。時に恋より甘いと思うこともあるが、恋よりも残酷だな、とも思う。

 

 

子どもたちがいつか巣立つ時、何の感情も持たずあっさりと送り出せる自信は今の私にはない。今は、我が家におけるこの人たちの存在感が(良くも悪くも)すごすぎる。それとも子どもが中学生ぐらいになると、別れが近い恋愛のように自然と「フェイドアウト」していくものなんだろうか。

しかし子どもの自立自体は、そこが子育てのゴールなのだから素晴らしいことに違いない。その時、笑顔で送り出せるよう、家事育児に忙殺される日々の中でも「私」を見失わないよう工夫して暮らすしかない。「どうせできないし」と、必要以上に我慢していることはないか子育て中であろうと私は今ここに、確かに生きているのだから、2016年の「今」の自分の欲望に、もっと正直になってみるのも大事なことだろう。(なんて書いてるけれど、うちの夫は「あなたの場合、もうちょっと欲望を我慢した方がいいと思うよ…」とか言いそうであるが)

 

そして、周囲に「子どもが一人暮らしをはじめて寂しい」と嘆いている方がいるとか、「家を出たらオカンが、ケータイに度々電話してきて鬱陶しい」とか、そういうことがあったら、どうかどうか、子離れの時をあたたかく見守ってあげてほしい。きっと、ゆっくりと「私」を取り戻していきますから。……と、しみじみ思う私なのでありました。

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著者:kobeni(こべに)
子どもの年齢:7歳、2歳

仕事と育児の両立などをテーマにしたブログ kobeniの日記 を書いています。二人の男の子の母親。東京在住。

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