社会人9年目に結婚。
子供は欲しいと思っていましたが、それを機に仕事を辞める気は毛頭なく、自分は産休・育休を取って職場復帰するものだと、信じて疑いませんでした。
そして、結婚して1年が過ぎた頃、妊娠が判明しました。
その時は4週目で胎嚢が確認できましたが、心拍は確認できず、次回の診察で心拍が確認できれば、妊娠は確定的ということでした。
取り急ぎ、直属の上司と部長に妊娠の可能性と、産後も復職の意思があることを伝えました。
ただ、この時期は、仕事が1年のうちで最も忙しい時期だったのです。
残業も多かったのですが、体調・体力的にこなせない状況ではなかったので、例年通りの業務をこなし、仕事のヤマを乗り越えました。
そして、妊娠7週目、仕事のヤマを越え、やっと一息つける3連休を迎えました。
その3連休は、台風が上陸していたので外出もせず、終日家で横になっていました。
軽い生理痛程度の腹部の痛みがあったのですが、最近忙しかったせいのもので、休めば治ると思っていたのです。
そんな連休最終日、旦那と一緒に夕食を食べていた時に異変は起こりました。
「ゴボッ」
体内から、そんな音と共に、何かの塊が出てきた感覚があったのです。
急いでお手洗いに行って、ショーツを確認すると、生理の月経血とは比べ物にならない量の血液と、5cm程度の血の塊が出てきていました。
そして、その血の塊の中に、明らかに血ではない物体がありました。1cm程度の白い膜に覆われたもの・・・。
それを見た瞬間、「流産」という言葉に頭を殴られた気がしました。
私は蒼白の顔で、かかりつけの産科に電話しました。
祝日だったので、当直のお医者さんに事情を説明したところ、
「出てきたものが手元にあるなら、それを持ってきてもらえると、はっきりと確認できるので、それを持ってきてください。ないのであれば、今できることは何もないので、明日の通常診療時間に来ていただいても構いません」というものだった。
流産したのかどうかはっきりしないまま、今夜一晩を過ごす自信がなかった私は、即座に旦那と共にバスで病院に向かいました。
台風が上陸中の道中は、私の心情とリンクするかのように大雨でした。
そして、診察してもらった結果、私の子宮の中は、空っぽになっていました。
同時に、私の心の中にも小さな穴が空いたようでした。
翌日から、妊娠のために広がっていた子宮を元に戻すための子宮収縮剤を飲みながら出勤し、通常業務をこなしました。
以前報告していた上司と部長には、流産になったことを報告。
子宮収縮は痛みを伴うもので、連日痛みに耐えて働いていたのですが、金曜日の朝には痛みでベッドから起き上がれず、欠勤することとなりました。
痛いお腹をさすりながら、ベッドに横たわり、私は考えました。
初期の流産は15%くらいあることだと聞きます。
また、 仕事とかの外的要因よりも、初期異常など胎児自身の問題が多いといいますし、流産自体が仕事のせいだとは思ってはいません。
ですが、頭では理解していても気持ちは割り切れず、その結果、仕事と子供に関する価値観が180度変わってしまいました。
今までは、時期が来れば、自分は妊娠し、産休・育休を取るものだと思っていました。
ですが、今回のことで、親になれることは当たり前じゃないと思い知らされました。
一方、仕事は、今の仕事じゃなくても、私でなくても代わりはいるのだと・・・。
そう思った時、私は、次に妊娠することができたら、仕事を辞めて育児に専念しようと決めました。
そして、それから2年後の今、再度の妊娠をきっかけに退職して専業主婦となり、1歳2ヶ月の男児の母親として生活しています。
流産という事実を割り切れず、結果、出産しても仕事に復職しなかった私の選択が正しかったのかどうかは、今もまだわかりませんが、一度選んだ道を後悔することのないよう、今は目の前の育児に全力で奮闘すべきだと思っています。
ゼクシィBaby WEB MAGAZINEの記事
著者:ユカリンゴ
年齢:33歳
子どもの年齢:1歳
32歳の時に男児を出産。旦那の転勤で、知り合いのいない初めての土地で子育てをすることになったので、子供と一緒に友達作りに奮闘中。
今は、息子に夜中起こされることなく、一晩ぐっすり眠ることができるようになるのが、ささやかな夢。
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