こんにちは、肉子です。
先月からブログでこのコラムのネタを募集しているのですが、
そこでリクエストしてもらったものを書きます。
「年が近いきょうだいで、下の子を出産した時の上の子赤ちゃん返り問題」
について語らせてください。
我が家の場合、上の子(娘)と下の子(息子)の歳の差は2歳0か月です。
何度も過去コラムと同じことを書いてすみません、娘は発達障害があり1歳半健診ぐらいからすでに「これは…」という感じはあったので、妊娠中によくある↓
こういうのは全然わかってない感じでした。なんというか…「無」でした。
下の子が産まれたら、なにかのショックでしゃべり始めたりしないのかな…とか別の夢を見てましたが、今回そこを語り始めると話がズレるので以降はスルー気味で話を進めていきますね。
わたしは悪阻がとても軽いタイプの妊婦で、妊娠中も割と通常通りに過ごせていました。
しかし、妊娠8か月ぐらいの時に少量の出血と破水があり、切迫早産で緊急入院となってしまいました。
そこからですね、娘が本格的にブッ壊れたのは…
家にママがいない生活を余儀なくされ、不安定でいつも不機嫌な娘の対応に夫もゾンビみたいになっていました。
それでも日中は保育園に預かってもらえたのが救いですが…
そして切迫早産入院から退院した日の何と翌日に、自宅で破水し私は二人目を早産してしまうという大トラブルがあったのでした。
モロに早産で、二人目はしばらくNICU入りでした。
その辺のバタバタは過去のコラムに書いたことがあるので、興味ありましたら読んでみてください。
うーん、3年前の記事だけど今読んでもヒドいですw
そして退院した後の娘の様子とはいうと…
赤ちゃんの泣き声が癇に障るのか、それとも聴覚過敏なのか、息子が泣くと両耳をふさいで他の部屋に避難していました。
「赤ちゃんかわいいね♡」
的なお姉ちゃんぶりを発揮したことは一度も無く…
息子を出産したのは7月なのですが、9月にはわたしの精神も限界を迎え保育園で壊れると言う大失態をしでかしました。詳細はこのコラムにて…
2歳となると丁度イヤイヤも絶好調なので、乳児より手がかかるんですよね。
それまで、トイトレもそこそこ進んでいたのですがポッキリと心が折れたのでまたオムツに戻しました。
ずるずると色々なことを先のばしにした結果、年少の春までオムツの娘でした。
そんな赤ちゃん返りなどで辛かった時期に、ネットか何かで見た言葉を支えにして生きてました。
「魔の3歳児・仏の4歳児」
つまり、4歳になれば言葉もバリバリ話すようになってイヤイヤも収まり、身辺自立も完成するのでぐっとラクになるのでそこを目指して頑張れ的なやつです。
それから、保育園の送迎で娘より上の女の子に言われた言葉です。
その子はたぶん年中さんだったかな?
4~5歳も2歳も大人から見れば似たような歳の差なのですが、彼女から見たら2歳の娘はまだ赤ちゃんなんだよな…
娘はお姉ちゃんである前に、まだ全然赤ちゃんでいてもいいんだよな、とある意味吹っ切れました。
発達の関係で2歳でもほとんど会話できなくて、要求は2語分ぐらいで発語する程度で親の私は当然めちゃくちゃ焦ってましたが、焦ったところで思い通りになるわけないし、だって赤ちゃんだもんな…
と、当時ネットで流行ってた台詞の
「しょーがねーだろ 赤ちゃんなんだから」
を勝手に娘にアテレコしてすべてを乗り切っていました。
ちなみに、今回このネタのリクエストくださった方のお子さんは4歳と0歳とのことですが…
4歳も「しょーがねーだろ赤ちゃんなんだから」でいいと思うのですがどうでしょうか。乳児に比べたら巨大な子供に見えるかもだけど、少し上の子供から見たらまだバブちゃんですよ…
・幼児がさらに幼児退行するタイミングには波がある
・赤ちゃん返りは永遠に続くわけではない
・上の子が身辺自立したらグッとラクになる
・下の子も身辺自立するとめちゃくちゃラクになる
わたしも、その渦中にいたときは衆目の中で泣いてしまうほどしんどかったのですが、波を過ぎるとスッと体も気持ちもラクになれたので、しんどい時期ほど「どうしたらこの状況を抜け出せられるのか」など考えないように、好きなことに気持ちを向けて逃避していました。
少しでも参考になれたら幸いです!
ゼクシィBaby WEB MAGAZINEの記事
著者:肉子
年齢:41歳
子どもの年齢:7歳・5歳
100人婚活地獄から這い上がり30歳で結婚。健康には自信マンマン・産む気マンマンなのに不妊でずっこける。成果が実り、現在は2児の母。
ブログ:ヲタ腐ダイアリ
既刊「100回お見合いしたヲタ女子の婚活記」全2巻「100回お見合いしたヲタ女子の出産記」
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