私は授かり婚だったのですが、入籍前に流産となりました。
両家にも報告済みで、結婚はそのまま進めることとなりましたが、孫誕生や子供が出来たことに大喜びの結婚相手に申し訳なく、また物凄い喪失感もありました。
結婚することにも疑問を感じましたが、結婚相手の『結婚は変わらない』という言葉で入籍。式はしない予定でしたが、式の準備を始めました。
流産から2ヶ月後またも妊娠。前回の流産から近過ぎたため慎重に過ごしていましたが、またも流産となりました。
どちらも胎嚢が確認されて、心拍確認前に流産となりました。
流産も自然に出るまで待つという方法で激痛となり、二度目は救急車を呼ぶほどでした。続いて流産となり、妊娠することに恐怖を感じるほどでした。
授かり婚だったはずなのに、あとから結婚した友人がどんどん出産していく中、気が付けば最後の流産から2年も経過していました。
二度も妊娠したのだから、避妊しなければきっとすぐまた妊娠すると思っていました。
生理も珍しく遅れたこともあり産婦人科へ久々に受診しました。
流産経験の記載があり、診察を受けると不育症と診断され、検査を受けることを勧められました。
不妊治療をしている友人もいたので、不妊治療はイメージがつきましたが、不育症という言葉は初めてでした。
軽い検査を受け、ネットで不育症を検索し続けました。
不育症。着床しても育たないこと、理由は明確には分からないようなことが書いてありました。
『どうして自分が』と何度も何度も思いました。
治療するにもお金がかかるし、簡単にはいかない。
初めての妊娠で母性が生まれていた私には受け入れがたい事実でした。
それから何度も同じことで悩みました。
もう子供は持てないかもしれない。この人の子供を産めないなら、別かれるべきではないのか、自分は不完全なのではないか、将来子供が居なくても楽しめるか?
いや自分は楽しめない、苦しくなるに決まっている。今もこんなに苦しいのだからと。
色々な思いが駆け巡りました。
ふと子供服を見ると泣けてきたり、 子供とは極力関わらないように避けているような状態でした。
ネットで情報を読み漁り、一つの言葉に救われました。
「不育症でも、不妊治療をせずに子供を授かる可能性は50%」
この記事の信ぴょう性は今となっては分かりませんが、当時の私には50%もある、半分もある、母になれる可能性がこんなにもあるんだと初めての希望を持てた言葉でした。
50%が高いのか低いのか分かりませんが、私には大きな可能性を感じられました。
そのころ、夫婦としてはタイミング療法を取るということをやっていましたが、気が付けば2歳年下の夫の積極性の低さに苛立ち、夫婦仲は割と険悪になっていました。
そんな中、海外旅行に行く機会がありました。
新婚旅行をしていなかった私達は、新婚旅行気分を味わい気分転換をすることにしました。
ハネムーンベイビーにも期待しましたが、結果は残念に終わりました。
生理が来る度に泣き、上手くタイミング取れない夜に1人泣きました。
険悪になっていては、授かるものも授からないと思い、一旦は妊活を休憩し、翌年2月頃から本格的な妊活に変えていこうと決めました。
排卵検査薬は使っていたので、何となくタイミングだけは取るようにしようかっという緩い約束のみです。
その前には、ルイボスティーなどの温活、ヨガ、ウォーキング、禁煙などしていましたが、休憩中は気にしないことにしました。丁度休憩しようといったのがその年の10月頃でした。
12月頃生理が少し遅れていました、基本的には予定日誤差が殆どなくやってきたいたのですが、たまに遅れることもあり、少し様子を見ていました。
約10日程遅れたころ、我慢出来ずに仕事の休憩中に検査しました。
なんと陽性がでました。涙も出ました。
そこからは、祈る毎日でした。
不安で不安たまらず、安静に安静にとしか考えられませんでした。
病院にも少し遅めに行きましたが、胎嚢が確認できました。
まだ試練はありました。
里帰りのため実家近くの病院にも行くことになりましたが、流産経験が多いのでこの病院では受けられないと言われました。
週数の割に少し小さいかもと言われ、更に落ち込みました。
診察のあと待合室で泣き崩れました。
あんなに人前で泣いたのはいつぶりでしょうか?思い出せません。
通常の妊婦として扱ってもらえないということが、安定期前のため精神的に辛かったです。
通いの病院からは出産する病院を決めるように言われていたので、もう一つの病院にまた診察に行きました。
その頃は9週頃でしたが、軽くつわりが始まっており自宅から実家までの1時間半が辛かったです。
もう一つ病院での診察で、初めての心拍確認が出来ました。
妊婦健診の台で、涙が止まりませんでした。
ここまで妊娠を継続でしたのは初めてでしたから。
つわりにしても、無事に育っている印だと言われ少し安心しました。
その後も不安は中々消えませんでしたが、主人から『赤ちゃんの生命力を信じるのもお母さんの仕事』という言葉を聞き、万が一のことがあっても今はお母さんであることに変わりないから、お母さんであることを全力で味わおうと決めました。
それからは、何の問題も起きず順調に大きくなり安定期に入りました。
母子手帳をもらえた時、母子学級に参加できた時、ここまで来れたことに嬉しくてたまりませんでした。
そして順調に大きくなった赤ちゃんはえらくのんびり屋さんで、予定日を10日超過し出てきてくれました。
陣痛中は痛すぎて、もう無理だと本気で思いました。赤ちゃんに望んでごめんなさいと謝りました。
初めての産声、産まれてくれた安心感で心底ほっとしました。
そんな我が子は、先日1歳になりました。
心配症な母を思ってか、風邪もひかずにびっくりするぐらい元気で健康です。
12月に妊娠に気付いたとき、少し早いクリスマスプレゼントをサンタさんがくれたと思いました。
こんな素敵なギフトはもう二度とないと思います。
こんなにも望んでいた赤ちゃんでも、育児は大変でくじけそうにもなりますが、ギフトに気付いた気持ちを忘れずに、今後も精進していきます。
母のところへ来てくれて本当にありがとう。子を望むすべての夫婦が授かりますよう本気で祈っています。
ゼクシィBaby WEB MAGAZINEの記事
著者:つぃんつぃん
現在三十路、新米ママ1年生、2年目に突入しました。中々ママ友が出来ず、実家行き過ぎて少し嫌がられつつあります。よろしくお願いします。
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