こんにちは、ぴの字です。
今回は産後うつのお話です。
出産後マタニティブルーを経験していた私でしたが、退院するころには大分上向きな気持ちまで回復していました。
里帰り出産ではありませんが、夫の実家ですのでお姑さんの協力も必要であれば得ることのできる環境でした。
なのになぜか、赤ん坊に関することすべてを自分でやらなければいけないような感覚になっていました。
よく言う、出産後は神経が尖っていて赤ん坊を他の人に触らせることができない、という状態ともちょっと違いまして、触れられるのは平気だけど責任感だけが膨らんでいて、誰かに任せることに対してストレスがあるという感じ。
そんな中、事件が起こりました。
近所の方が来て出された緑茶を一杯だけ頂いたのですが、そのカフェインが母乳に混じった影響なのか、赤ん坊が寝ることが出来ず、泣くけど母乳もミルクものまないけどおむつでもない、それをずっと抱いてあやして途方にくれるという事態になりました。
そこから歯車が狂ったのか、それとも元々そういう時期が来たのか、娘はほとんどベッドで寝ない赤ん坊となってしまったのです。
おっぱいを口にくわえるけど上手く吸えずに疲労して寝てしまう、しかしベッドにおくと目が覚める。(俗にいう背中スイッチですね)
ベッドに上手くおけたとおもいきや、お腹がいっぱいになっていないので1時間もせずにまた泣き出す。
赤ん坊用の体重計がなかったので飲んだ量もわからず、不安がつのりました。
見かねてお姑さんが抱いて寝かせてくれたりしたのですが、その時だけ上手く寝てくれたりして、その差にも愕然とし、自分に失望しました。
おっぱいを咥えさせるまでに30分、吸い始めたら1時間ちかく寝ながらおっぱいを吸っていて、離すと泣く、寝てもずっと抱いていないと起きて泣くので、あまりにもひどいときはお姑さんと交代しながらだっこをし、仕方なくミルクを足した状態でも、私が継続して睡眠できるのは1日で2時間あるかどうかという状況が続きました。
そんな中、パパも多忙な時期にあり、起きているときは育児に協力的なものの、疲れがたまっているせいなのか、イビキ、寝相がひどく、ただでさえ少ない私の睡眠を邪魔し、それなのに夜泣きしても起きないという悪影響の塊となっていました。
疲労しきった私は、服はシャワーの時に1度着替えるきりで、1日中パジャマで過ごしていました。
趣味で絵をかくどころか、赤ん坊のことについて調べるとき以外PCすら起動していない状況が続き、それまでかなりの時間張り付いていたSNSもほとんど見なくなりました。
しかも、出産の時の貧血がまだ響いていて、身体はずっと重いままです。
そんなとき、また事件がおこりました。
泣き始めた娘を抱き上げた瞬間、貧血で一瞬目の前が真っ暗になり、気付いたら倒れてしまっていたのです。
若いころ柔道をやっていたのが幸いしたのか、受け身をとって娘を胸に抱えた状態で家具の隙間に背中から落ちるようにうまく倒れたようで、娘にも私にも怪我はありませんでした。
角のある家具にかこまれている場所でも有り、もし落としていたらただではすまなかったと思います。
焦燥と恐怖が一気におしよせてきて、いよいよ追いつめられた状態にありました。
そして追い詰められた私は、夫に言いました。
「もう無理だわ」
夫は私に言いました。
「ママなんだからがんばって」
この言葉は一生忘れることがないと思います。
こんなシンプルな何気ない言葉が、人生で投げかけられた最もひどい言葉として記憶されてしまいます。
何かがぶちっと切れて、過去に類を見ないほどのどす黒い感情に飲み込まれる感覚がありました。
夫に対する過激な暴力的衝動が足元から駆け上がってくるのを実行に移さなかったのは、体調的に身体が上手く動かせなかっただけで、理性が働いたわけではありません。
私は号泣し、叫びながらながら柱を蹴りました。
「私ががんばってないっていうの!!!!これ以上どうがんばったらいいの!!!!」
普段の私は物にあたることはないし、怒ったらムッとして押し黙るタイプなので夫はさぞ驚いたことでしょう。
その時は夫が私をなだめて赤ん坊を預かってミルクを与え、一人にしてくれて、少しゆっくり寝ることができました。
一応フォローしておきますが、夫はかなり献身的なタイプだと思います。
よく言う育児に非協力なタイプではなく、言われたからやるという受け身のタイプでもなく、自分から出来ることはしてくれていました。
それでも妻のほうで抱え込んでしまうとこういう事になるということでしょう。
個人個人で限界値が違うと思いますが、私の場合、ツワリ時期からほとんど運動出来ず体力がなかったこと、貧血がひどかったことも影響していると思います。
ここまでくると自分がまともじゃない自覚がありました。
このまま煮詰まると赤ん坊に手を出してしまうと思い、翌日からは意識して、昼間3時間程お姑さんにみてもらって集中して寝たり、趣味の事をするようにしました。(この頃にブログの更新を再開しています。)
この爆発事件が、ちょうど「魔の3週」ごろだったとおもいます。
それからまもなく、なんとなく娘が黄疸になっている気がして不安から病院に行きました。
待合室で私を見た助産師さんが「顔色がひどいけど大丈夫なの?」と声をかけてくれて、泣き出した私をみて談話室に連れて行き、話をきいてくれました。
話を聞いた助産師さんは、がんばりすぎてるよ、心配だから市の人に家にきてもらいなさいと言って、通常は1ヶ月以降にある「市の助産師が自宅にきてくれる時期」を電話してすぐきてくれるように手配してくれ、それに加えてすぐにでも受けたほうが良い、とおっぱい外来の予約をしてくれました。
おっぱい外来と助産師訪問については、次回以降また別途記事を書きたいと思います。
今になって冷静に思えば、
簡単に協力が得られる状況なのにすべて自分でやろうとしていた事自体が、すでにまともな精神状態では無かったんじゃないかと。
妊娠~産後1年位は、自分の中の常識が何かと置き換わるというか、赤ん坊を守ることを優先するように思考のバージョンが切り替わっていたような感じがします。
当時そうするのが当たり前と感じていたことが、あとから考えると普通じゃなかったりということがあったりするので。
完璧に何かをしようとすると私の場合は追いつめられると自覚し、その後はできるだけ適当にするようにしています。
適当すぎる感もありますが、おかげさまで娘も私も元気です。それが一番です。
ゼクシィBaby WEB MAGAZINEの記事
>>>次回のエピソード:産後うつから救ってくれた、「おっぱいに悩むものがくぐる門ー母乳外来ー」。
著者:ぴの字(猫田 ぴの字)
年齢:36歳
子どもの年齢:4歳
北海道出身、現在南国マレーシアで育児奮闘中の主婦漫画家。なんとかまったりやってます。海外での子育ては、右も左もわからないぜ!
ブログ:ぴのにっき(・|・)漫画絵日記
書籍:マレーシアで子育てしてます。 ~ぴのにっき~
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