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人生で一番辛かった時間「初お産」とその後の「母乳育児」 by まいぽー

こんにちは!

今回は、私の人生で一番しんどかった「初お産」と「母乳育児」の話!

 

私の人生初のお産は今から7年前。どちらかといえば気楽に構えていた妊婦でした。

ある満月の夜、家の近くを散歩中、何度も痛みで足を止めてしまうので、あれ?と思い時計を見るとちょうど15分間隔だ。

予定日が近かったため、念のため病院に電話をしてみたのが夜中の9時頃。
「さっきから15分間隔で痛みがきているような気がするんですが…」「陣痛かどうかわからなくて…」電話口でそう伝えると「それは我慢できる痛みですか?」と問いが返ってきた。
「えっと…」どちらかといえば我慢強い私は「我慢できる痛みです!」と答えた。
「そしたら我慢できない痛みになったら病院に来てくださいね」「はい!」と返事をして電話を切った。
本当はこの時に病院へ行くべきだったのかもしれない。1人痛みの我慢大会が始まった。

外が明るくなり鳥の鳴き声が聞こえてきた。朝がきたのだ。
病院へ連絡してから9時間ほど経っている。我慢に我慢を重ね、私の寝ていたベッドは痛みを耐えるたびに流れ出た汗でびしょびしょになっていた。「まだ…我慢できるぞ…」その時ガーンと下半身に衝撃が走った。

まるで巨人に下半身を引きちぎられるかのような圧倒的な痛みだ。何かが股から外へと出ようとしている!

「自宅出産してしまう!」

謎の我慢大会を開いていた私も、さすがにこんなことしている場合じゃないと気づき、側にいた家族を起こして車を出してもらった。

「なんでこんなギリギリまで我慢しちゃうの!危険でしょ!」と怒られたような気がする。あまりの痛みと長時間に及ぶ格闘の疲れに、ぼや〜とした意識のなか(あぁ、やっとこの痛みから解放される)と安堵した。

と、その瞬間
「子宮口6センチです!」
「え…」
「全開の10センチになるまでまだいきまないでください!」
(そんな…)
さっさと痛みから解放されたいと願っていた私には地獄の現実が待っていた。

「無理です!」いきみ逃しは無理だった。もう長時間ずっと自宅でそれをしていた。でもさっき安堵したとともに心が折れてしまった。身体は勝手に仰け反り、意思とは関係なしに全身がいきもうとする。「無理です〜!!」あれだけ我慢強かった私は土壇場で大パニックになってしまった。「無理です!無理です!もう無理なんですう〜!(号泣)」

「しっかりしてください!ちゃんと呼吸して!お腹のなかの赤ちゃんに酸素を送ってあげないと!赤ちゃんが苦しんでますよ!」

(赤ちゃんが…危ない…!?)その瞬間こそ冷静になるものの、またすぐ襲いかかってくる痛みの波を前に「うわーん!!」とパニックに戻ってしまう。暴れれば暴れるほど痛みは響くのに…。このままじゃ母子ともに危険と判断した先生は急遽鉗子分娩に切り替え、そうしてようやく長男は誕生した。

正直細かいことはあまり覚えていない、終始自分が泣きながら先生や赤ちゃんに謝っていたことだけは覚えている。

「おめでとうございます、元気な男の子です」

満身創痍の私の前に 生まれたてほやほやな小さき人間が現れた。めちゃくちゃ感動した。でもそれと同時に

(こんな経験…もう二度としたくない…)とも思った。お産で破けた股を縫われているのに全く痛みを感じなかった。私はそのまま分娩台の上で意識を失った。かなりの貧血だった。

早朝のお産を終え、私は病室のベッドの上で仰向けになりながら天井を見つめていた。きたる明日の母子同室に向けて体力を回復しなければいけない。(でももう歩けない…)破けて縫われた股がパンパンに腫れ上がり、痔もひどい。あまりの疲れに表情はなく、顔は緑だ。

次の日、病室に夫と家族がお見舞いにきてくれた。赤ちゃんもやってきた。すごく可愛い。ちょうどミルクの時間だったので病院の方が「おっぱいあげてみますか?」と聞いてくれた。

「あ…はい」正直おっぱいなんてあげたことないけど、(子供を産んだんだもん、きっと自動的に出てきてくれるよね、うん。)そう思って片乳を出す。しかしなにも出てこない。赤ちゃんはムっと口を閉ざしたまま寝ている。今度は乳を掴みながら息子の口元に近づける。しかし赤ちゃんは顔を背けうっとおしがってそのまま寝落ちしてしまう。

みんな私の乳を見ている。私も自分の乳を見ている。「それじゃあ今日はミルクにしましょうか」スタッフが赤ちゃんを抱きながら哺乳瓶を近づける、すると頑なに閉ざしていた口が大きく開き、ぐびぐびと飲み始めた。グサっとした痛みのあとにバキっと心が折れる音がした。

「よく頑張ったね!」「ゆっくり休んでね」
家族も夫もみんな優しい言葉をかけてくれたけど、私がしつこく自分自身を責めてしまう。(上手くできなかった…母親なのに…。)考えてみれば産んですぐに母乳が出る人なんて少ない。お産は奇跡なのだから元気に生まれたなら万々歳。それなのに経験のなさから「自分の努力不足では?」とボロボロの自分をさらに責めてしまう。

「陣痛に気付けなかった、お産も上手にできなかった、鉗子分娩になってしまった、母乳もちゃんとでなかった」トイレに行かなければならない、トボトボと手すりにつかまり壁伝いに歩きながら便座では体重で股が痛むのを和らげようとお尻を少し浮かせたまま用をたす。大量の出血(悪露)で服が汚れないよう気をつけながら最後は骨盤ベルトを締めてまた手すりを握りながら壁伝いに病室へ戻る。歩行困難だ!

こんなにボロボロなのに、赤ちゃんのお世話をする時はすごく幸せな気持ちになった。私が抱っこをすると安心した表情になるそんな我が子がとても愛しい。

(頑張ってみるか…)今思えば頑張らなくてもよかったんだけど、そういう性格なのだ。1人我慢大会に続き、1人やせ我慢大会が始まった。授乳ルームで誰よりも長く母乳指導を受けながら出来るまでねばった。上手くあげられるように乳首をつぶしてみたり、おっぱいを口に放り込むタイミングをみてみたり。母乳指導はスパルタだったけど、その甲斐あってか3日目でなんとかようやく母乳らしきものが出て、それを飲ませることができるようになった。小さな手ごたえを感じた。

しかし一難去ってまた一難。今度は乳首が切れた。切れていない方の乳首で飲ませるものの、すぐにそっちも切れて結局血まぢりの母乳育児を強行突破した。

退院後も結局私は産後1ヶ月経つまで外に出ることができなかった。一度近所のコンビニへ行こうと試みてみたものの、玄関を出て太陽の光を浴びた途端ふらっと倒れそうになってしまったので退散した。

生まれて初めて「死ぬかもしれない!」と思った私の初お産。

その後もお股とお尻が完治するまで時間がかかったし、腰もずっと痛かった。今もこの文章を書きながら思い出して貧血気味になっている。

今日もどこかであの壮絶なお産と戦うお母さんたちがいるのかと思うと応援せずにはいられない。双子ちゃん、三つ子ちゃん…帝王切開…どのお産も命がけだ。お産は本当に奇跡、そしてそこに携わる病院スタッフの方々には本当に感謝が絶えません。



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著者:まいぽー
年齢:30代
子どもの年齢:長男(6)、長女(4)、次女(2)、三女(0)

長男くん、長女ちゃん、次女ちゃんと夫くんの6人暮らし。ブログ・SNS にて育児漫画を中心に投稿しています!


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