妊活をして半年。妊娠が分かり病院に行くと「予定日は3月3日ですね」担当の先生から言われました。
当時は仕事をしていて職種は営業。外回りの車の運転や出張も、産休に入るまで行っていました。
妊娠初期は悪阻があり、夕方になると気分が悪くなり、夕飯には大体そうめんを食べていました…。
毎回の検診では特に問題はなく出歩いたり、悪阻が落ち着いてからは、好きなものを食べたりしていました。
しかし、助産師さんが体重管理には厳しかったため、食生活は野菜を多めにするなど気を使っていました。
妊娠中期の安定期を過ぎてから、少し太り始めたので通勤を徒歩にして、無理のない程度に運動量を増やしました。
妊娠後期になり、車の運転は控えるようにしました。
クリスマス、正月とイベントが続いたこともあり、体重管理をしっかりしないとコントロールが難しく、毎回の検診で体重計にのるのが嫌になっていました。
インフルエンザや風邪を引くのは怖かったので予防接種を打ったり、9ヶ月のときに4Dエコーを撮ってくれる病院で記念に撮影してもらったりしました。
性別は9ヶ月まで分かりませんでした。4Dエコーをした際に、たまたま女の子だということが判明しました。このころから入院の用意はしていました。
産休に入ったのは1月中旬過ぎ。検診では毎回赤ちゃんの体重身長も問題なく、平均の線の上でした。
36週に入って臨月だなーと思い、そろそろ里帰りの準備をしなきゃと両親と相談し、37週に帰る予定を立てていました。
産休に入ったこともあり運動量が減っていたので、2時間くらいの散歩を日課にしていました。
36週に入った2月3日、朝から大好きなパン屋さんに買い物行ったり、節分の準備に買い出ししたりと変わらなく過ごしていました。
買い物から帰ってきたあと、少し疲れて眠たくなったので夕方横になっていました。
夕飯の準備をするために起きあがると下着が濡れていました。尿漏れかな?と思っていましたが、たらたらと出てくるので焦り、病院へ連絡。
破水したかもしれないので、入院の用意して病院にくるようにと指示を受けました。
主人、両親へ連絡し、急いで支度をしタクシーで里帰り先の病院へ。診察の結果、破水だったためそのまま入院になりました。
一日自然に陣痛がくるか様子を見て、こないようなら促進剤を使って3日以内に出産をするとのこと。赤ちゃんの無事を考えたら不安になり涙が出てきました。
自然に陣痛がくることはなく、次の日から点滴を投与開始。破水をしてしまっているので抗生物質も飲み、陣痛が来るのを待ちました。
2日間とくに何もなく経過し、2月5日にこれで明日陣痛がこなければ帝王切開ですと言われ、手術の準備のための検査など受けました。
マタニティーライフは特に大きな問題がなかったこともあり、帝王切開の話が出るとは思っておらず、手術への不安が増し、何か説明を受ける度にメソメソして情緒不安定になっていました。
そんな中、2月5日の22時過ぎに少しお腹の張りが強くなってきました。不規則だったので少し様子を見ながら就寝。
2月6日の朝方4時くらいに強い張りに代わり、NST開始。
早朝、主人と両親が駆けつけて、様子を見ることに。
このときはまだ子宮口は開いていませんでした。9時に内診してもらい、投与量を増やしました。すると短い時間でお腹が張るようになりました。
そこから徐々に子宮口が開き、11時45分に全開に。
そして分娩室へ移動し12時8分に出産。娘は2132グラムの低出生体重児でした。
低血糖だったこともあり、抱っこして一瞬で運ばれていってしまいました。
予定日より1ヶ月弱早く小さく産まれてきましたが、娘は元気に成長しています。
赤ちゃんのための用意が出来ていなかったのですが、主人、両親のサポートがあり、退院時には赤ちゃんを迎える準備を整えることができました。
出産は何が起こるか分からないと聞いていましたが、自分が経験するとは思いませんでした。
小さく産んで大きく育てるとはよく言ったもので、まさに娘はそうだなと思います。
出産直後は、早く産んだことへの反省や罪悪感しかなかったのですが、
「少し早く産まれたのは、早くママに会いたかったんですね!」
と助産師さんに言われたときは、救われた気持ちになりました。
この小さな命を全力で守る!と心に決め、母になった喜びを感じるとが出来ました。
ゼクシィBaby WEB MAGAZINEの記事
著者:ひなちゃん
早産を経験しました。入院中はメソメソすることがたくさんありましたが、今では元気に成長する我が子と一緒に成長することが日々の楽しみです。妊娠は何が起こるか分かりません。やれることは早めにすることをおすすめします。
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